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[C127]

今宵とも知れない命であるのに、今宵間に合わない救いを教えているのが親鸞会であることをよく分かって頂きたいですね。
  • 2010-11-03 20:13
  • 淳心房
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[C128]

>淳心房様

続きに書いておきました。
http://shinrankaikansatu.blog133.fc2.com/blog-entry-107.html

「願はくは深く無常を念じて、いたづらに後悔を貽すことなかれ」です。。。
  • 2010-11-04 01:36
  • いつもの元会員
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[C133]

>教えられた通りに、廃悪修善を実行

しなければというところに、座りこまされ

ていしまっているのです。???

な~んて、三願転入したことの無い


この先を進んだことの無い


お方のセリフですね!御自分で、座りこ


もうとされているのは、貴殿ですぞ!


善を勧めるのは、善知識のお仕事です。

発菩提心、修諸功徳と、善心をおこして


くださいますのが、阿弥陀仏ですぞ!


二河白道とは、修善の道ですぞ!!


聴聞、勤行、諸善万行の道を、白道と


教えられたのですぞ!!


急作急修して、頭念を払うが如くすれども、
雑毒雑修の善だと知らされるし、

悪人が、善をさせられれば、欲と怒りの

波が逆巻くのも当然。

白道を進んだことのない者に、

二河白道なんて、わかるわけがありませんぞ!

東の岸で、群賊悪獣悪知識をやっている貴殿こそ、

後生は一大事ですぞ!
  • 2010-11-11 18:18
  • 本太郎
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本太郎さん、聞く内容をすり替えないで下さい

ある人から聞いたことですが、親鸞会の会員さんの中には「弥陀の救いは聞く一つだから三願転入の教えに間違いはないのだ」と思っている人がいるそうです。ここには、聞く内容のすり替えがあるのですが、マンガ『歎異抄をひらく』の衝撃度に登場する本太郎も同じ意見の持ち主のようですので、そのセリフを題材に、親鸞会教義の誤りを見ていきたいと思います。

「決戦!鼻高山の巻」
http://www.shinrankai.or.jp/b/tannisyou/hiraku-comic35.htm
より引用(説明の便宜上、番号をつけました)。

(1)
弥陀の18願の救いは、「聞其名号」であるから「聞」で決する。
「聞」は、「弥陀の呼び声」を聞く「聞即信」の「聞」だ!

聞く一つで決定する弥陀の救いだから、肝要は聞法であることは歴然

親鸞聖人は
「たとい大千世界にみてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名を聞く人はながく不退にかなうなり」
と、真剣に、ただ「弥陀の呼び声」を聞けとのお勧めだ

(2)
だが、我々の現実はどうか。
「いたずらに過ぐる月日は多けれど 
 法を求むる時ぞ少なき」
ではござらんか

今宵とも知れぬ後生の一大事を抱えながら、聞法の縁がない無意味に過ごす多い月日を、どう生きればよい?

おまえたちのように、心のままにやりたい放題。悪に向かって自由奔放でいいのか?

朝晩の勤行もやってもやらなくても同じなのか?

真摯な親鸞学徒ならぜひ知りたいこと

(3)
その方角を弥陀が示されたのが19願、20願でござる。その願意を釈迦が明らかにされたのが、『観無量寿経』に『阿弥陀経』

そこに何が勧められているか。それをよーく聞くでござる



(1)では、弥陀の18願の救いは、聞く一つであることが述べられています。では、何を聞けと言われているのかというと、『ただ「弥陀の呼び声」である』と書かれています。ここで、「ただ」とは、高森会長がいつも話しているように、二つも三つもない、唯一ということです。他のことを聞くのではない、ただ「弥陀の呼び声」を聞けの勧めだと言っているのが(1)です。

ところが、(3)では、19願や20願(その願意を明らかにされた『観無量寿経』や『阿弥陀経』)に何が勧められているのかをよく聞けと聞く内容がすり替わってしまっています。(1)で「ただ」と言っていたことに反しているのです。

では、親鸞聖人は、18願一つを聞けとのお勧めなのか、それとも19願、20願に勧められていることを聞けとのお勧めなのか、真摯な「親鸞学徒」ならぜひ知りたいことです。それについて見ていきましょう。

親鸞聖人は、(1)で挙げられている『浄土和讃』に「仏の御名を聞く人は」と示されているように、南無阿弥陀仏を聞けとのお勧めです。

他のお言葉もいくつか見てみましょう。

まず、(1)に挙げられている本願成就文の「聞其名号」を解釈されて、

しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。(信文類)

「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。(一念多念証文)


と教えられているように、「仏願の生起本末」、「本願の名号」を聞けとのお勧めです。

『教行証文類・総序』にも、

誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。

と、18願(摂取不捨の真言、超世希有の正法)を聞けとのお勧めです。

このように、親鸞聖人は、ひたすら18願(=仏の御名=本願の名号=仏願の生起・本末)を聞けと勧められているのです。

(1)で、「弥陀の呼び声」と言われているのは、二河白道の譬えにおける西岸上からの喚び声

西の岸の上に、人ありて喚ばひていはく、〈なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉(『信文類』引文より)

を指しているのでしょうが、『愚禿鈔』に、

「西の岸の上に、人ありて喚ばうていはく」といふは、阿弥陀如来の誓願なり。

と教えられているように、阿弥陀如来の誓願、すなわち18願のことです。

そして、この中の「直」について、『愚禿鈔』では、

「直」の言は、回に対し迂に対するなり。また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。

と解釈されています。まず、「直」は、「回」や「迂」に対する言葉であると述べられています。「回」と「迂」については、それを合わせた迂回という言葉が『信文類』の次のお言葉に見られます。

また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。

『大経』の三輩段、それを開いた『観経』の九品、そこに説かれている定善・散善の教えは、方便化身土に往生する遠回りの善であるとのことです。また、「迂」ということについて、『行文類』や『愚禿鈔』に、

径迂対

と教えられています。念仏はさとりに至る近道であり、諸善はまわり道であるということです。本太郎が(3)で言っている19願・そしてその願意を明らかにされた『観無量寿経』の教えは、さとりへの回り道であると親鸞聖人は繰り返し教えられているのです(なお、20願も横出です)。その親鸞聖人が、19願、20願に何が勧められているのかよーく聞けと仰るはずがありません。

さらに、『愚禿鈔』では、「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するとも仰っています。『愚禿鈔』の二教対でいうならば、

本願一乗海は、頓極・頓速・円融・円満の教なりと、知るべし。
浄土の要門は、定散二善・方便仮門・三福九品の教なりと、知るべし。


と教えられている浄土の要門(方便仮門)を捨てて、本願一乗海(如来大願の他力)に帰せよということです。

以前も書きましたが、弥陀の喚び声は「喚ばうていはく」と言われるように、喚び続けに喚ばれているのです。私が何かを実行した先で待っていて喚ぶ声ではありません。親鸞会でも言われているように、

(参考:『浄土真宗親鸞会 射水市周辺地区の紹介』「ただの救い」と聞くと…
http://blog.goo.ne.jp/fujita_srk/e/1b3aafbe46ef59026367dd5c8cd66b3d

「直ちに来たれ」とは「そのまま来い」との喚び声です。別の言葉でいえば18願は「ただの救い」です。そのような本願のこころが説かれていれば、19願、20願に何が勧められているのかよーく聞けということが出てくるはずはありません。なぜならば、「そのまま」とは、文字通りそのままだからです。廃悪修善を実行してからでもなければ、罪悪が知らされてからでもなければ、後生が問題になってからでもなければ、雑行が問題になってからでもありません。今の私のそのままです。何か変化してからでない、もちろん未来のことでもない、「今のそのまま救う」というのが本願のこころなのです。

しかし、親鸞会では、その「ただの救い」が全く説かれていませんから、高森会長が「ただに3通りある」と説いてはいても、「ただじゃそうな」と受け取る人もいなければ、「ただが分からん」と悩む人もいません。そして「ただのただもいらんただじゃった」という人もいません。親鸞会にいるのは、廃悪修善を実行して、罪悪が知らされて、後生が問題になって、雑行が問題にならなければという人ばかりです。結局、教えられた通りに廃悪修善を実行しなければというところに座り込まされてしまっているのです。

親鸞会では本願のこころが正しく説かれていないので、本太郎が(3)で言っている「19願・20願をよく聞け」ということに会員の皆様は何の疑問ももたないのかもしれません。しかし、親鸞聖人のお言葉で明らかなように、親鸞聖人は18願一つを聞けとのお勧めです。本太郎が(3)で言っているような『観無量寿経』や『阿弥陀経』に何が勧められているのかをよく聞く(そしてそれを実行せよ)などということは、親鸞聖人の教えではありません。親鸞会の会員さんは、『ただ「弥陀の呼び声」を聞け』を『19願・20願をよく聞け』と、聞く内容をすり替えてしまう本太郎に騙されないように注意して下さい。

本太郎のセリフで、(1)と(3)をつないでいるのが(2)です。その中に「今宵とも知れぬ後生の一大事を抱えながら」とあります。今宵ともしれない命だからこそ、速やかにさとりを開く道である18願一つを勧められているのですが、長くなりましたので続きは次回書きたいと思います。
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今宵とも知れない命であるのに、今宵間に合わない救いを教えているのが親鸞会であることをよく分かって頂きたいですね。
  • 2010-11-03 20:13
  • 淳心房
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[C128]

>淳心房様

続きに書いておきました。
http://shinrankaikansatu.blog133.fc2.com/blog-entry-107.html

「願はくは深く無常を念じて、いたづらに後悔を貽すことなかれ」です。。。
  • 2010-11-04 01:36
  • いつもの元会員
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[C133]

>教えられた通りに、廃悪修善を実行

しなければというところに、座りこまされ

ていしまっているのです。???

な~んて、三願転入したことの無い


この先を進んだことの無い


お方のセリフですね!御自分で、座りこ


もうとされているのは、貴殿ですぞ!


善を勧めるのは、善知識のお仕事です。

発菩提心、修諸功徳と、善心をおこして


くださいますのが、阿弥陀仏ですぞ!


二河白道とは、修善の道ですぞ!!


聴聞、勤行、諸善万行の道を、白道と


教えられたのですぞ!!


急作急修して、頭念を払うが如くすれども、
雑毒雑修の善だと知らされるし、

悪人が、善をさせられれば、欲と怒りの

波が逆巻くのも当然。

白道を進んだことのない者に、

二河白道なんて、わかるわけがありませんぞ!

東の岸で、群賊悪獣悪知識をやっている貴殿こそ、

後生は一大事ですぞ!
  • 2010-11-11 18:18
  • 本太郎
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名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
(蓮如上人)

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