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「信仰が進んでいない」と「信心が足らない」は同じことです

ある親鸞会講師部員のブログに以下のようなことが書かれていました(文章は多少改変しています)。


一般にいわれる信心は私たちの心で間違いないと信じ固めたものである。

古今東西のあらゆる宗教において

「信心しなさい」
「信心が足りない」

と言われる。

ところが、親鸞聖人の教えにおいては、他宗教のような

「信心が足りない」とか
「もっと信心しなさい」

などの言葉は出てこない。

「信をとれ」
「信心を獲得せよ」

と常に聖人は勧められている。



これを書いたり、このような話を聞いている親鸞会会員さんは気が付いていないのかもしれませんが、

・雑行が問題になるところまで信仰が進んでいないのだ。
・後生が問題になるところまで信仰が進んでいないのだ。


というようなことを説く親鸞会は、他宗教でいう「信心が足りない」を「信仰が進んでいない」と言い換えているだけで、構造的に同質です。

親鸞会では信仰のバロメーターとして「廃悪修善の気持ちがどれくらい強いか」が説かれています。その結果、親鸞会で推進されている活動(親鸞会で言うところの廃悪修善)にどれくらい励んでいるかが信仰のバロメーターになってしまっています。「信をとれ」、「信心を獲得せよ」と常に聖人は勧められているといいながら、問題にされるのは会の指導に従って活動しているかどうかで、「信を獲たか否か」が問題になることはありません。他の宗教で「信心が足らない」ことが問題にされるのと、親鸞会で「会で推進される活動に参加する積極性」が問題にされるのは同質なことなのです。

さらに、会員さんの思いの根底にあるのは、「親鸞会だけが真実を伝えている団体」、「高森先生に間違いがあるはずがない」という強固な信心です。これらは、根拠もなく自分の心で間違いないと信じ固めたものです。

他の宗教について上記のようにいって、親鸞聖人の教えは違うと主張しながら、「他の宗教」と同質のものを信奉してしまっていることに早く気が付いて頂きたいと思います。

親鸞聖人の教えは「平生業成」です。信仰が進むとかまだ信仰が進んでいないとか、そのようなことが入り込む余地はどこにもありません。
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