fc2ブログ

Entries

道程があるというのは

道程があるというのは。

説く立場からいえば、「只今、助けよう」とはたらいて下さっている阿弥陀仏の本願力を説かずに、方法論を説き与えていることになる。

聞く立場からいえば、救いは説き与えられた道を進んでいった先(未来)にあると思っているということになる。

いずれの立場においても、阿弥陀仏の救いを「私→阿弥陀仏」というベクトルで捉えており、只今救うという阿弥陀仏の本願が抜けてしまっている。


阿弥陀仏の第十八願は如来の回向法、すなわち「阿弥陀仏→私」のベクトルである。その願は成就し、南無阿弥陀仏となって「必ず助ける」と衆生を喚びづくめなのだ。既に今、ここにいる私の上にはたらいて下さっている南無阿弥陀仏を聞信するとき(信の一念)、往生成仏が定まる。換言すれば、いつでもどこでも誰にでも名号法が与えられているので、平生業成の義が成立するのである。

道を進んでいった先に救いがあるのではないことを知って頂きたい。
スポンサーサイト



コメント

[C141]

救われた先に 進むべき道があります。
私の進むべき道を 間違ってはならない と思います。
  • 2010-11-21 20:48
  • 柳に風
  • URL
  • 編集

[C142]

>柳に風様

コメント有り難うございました。

わが身の往生一定とおぼしめさんひとは、仏の御恩をおぼしめさんに、御報恩のために御念仏こころにいれて申して、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれとおぼしめすべしとぞ、おぼえ候ふ。(親鸞聖人御消息)

御恩報謝の生活を送りたいと思います。
  • 2010-11-23 20:01
  • いつもの元会員
  • URL
  • 編集

コメントの投稿

コメント

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://shinrankaikansatu.blog133.fc2.com/tb.php/112-84d587bc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Appendix

プロフィール

いつもの元会員

Author:いつもの元会員
名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
(蓮如上人)

最新記事

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR