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報恩講の法友通信(『顕真』12月号)にみる親鸞会教義の問題点

親鸞会発行の『顕真』平成22年12月号(第356号)には、報恩講の法友通信が掲載されています。法友通信は会員から高森会長への手紙を掲載したものですが、会の機関誌なのですから親鸞会の公式見解とみてよいと思います。そこで、会員さんの声から親鸞会教義の問題点をみてみましょう。

噴き上がる「私の思い」
無条件服従まで進む

「あの人の言葉なら、納得できないことでも従おう」
「だまされても後悔しない」
と言えるほど信じられる方に出会えた人は、とても幸せだとお聞きしました。
 弥陀の仰せに無条件服従した時が、信心決定です。そこまで導いてくださる方が善知識ですから、善知識の仰ることに従って実行しなければ、信仰は進みません。
(以下略)  (42頁より引用)


この短い文章の中に親鸞会教義の大きな問題点が2つあります。

(問題1)善知識の指導に(無条件)服従しなければならないと思っている点

上の文章から、「弥陀の仰せに信順するには、善知識の仰せに(無条件に)従っていかなければならない」という思考が読み取れます。向かうのは弥陀であって知識ではないのですが、この思考だと弥陀と自分の間に知識が入り込むことになり、結局、弥陀に向かわず知識にばかり向くことになってしまいます。そして、問題にするのは「弥陀の御心」ではなく、「会長先生の御心」になってしまいます。
また、上の文章には、読む人を善知識だのみに陥らせる危険性もあります。『御文章2帖目11通』に、
善知識の能といふは、一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと、ひとをすすむべきばかりなり。
善知識といふは、阿弥陀仏に帰命せよといへるつかひなり。

と教えられているように善知識とは、阿弥陀仏に帰命せよと勧める人です。読む人を善知識たのみに陥らせる危険性のある文章を掲載させるような者は、決して善知識とはいえません。
『やさしい安心論題の話』(灘本愛慈著・本願寺出版)には、
思うに、善知識が真の正しい善知識であれば、このような善知識だのみは生じないでありましょうし、たとい一部にそういう誤った見解が生じても、善知識がその誤をただしてくださるでありましょう。
しかし、偽り邪な善知識の場合が問題であります。現実には「帰ずるところの弥陀をすてて」とまではいかないにしても、人々を説得し心服させる才能にたけた者が指導者となり、指導される人々はその人を阿弥陀仏と同等に生き仏として無条件に帰依尊崇するということになれば、どのような事態になるか。実に危険きわまりないものといわねばなりません。

と書かれていますが、親鸞会によくあてはまっていると感じます。


(問題2)何かを実行して、「信仰」が進んだ先に救いがあると思っている点

上の文章に「善知識の仰ることに従って実行しなければ、信仰は進みません」と書かれている通りです。当ブログで何度も書いているように、浄土真宗は私たちが何かを実行し、信仰を進めて、救いを求めるというような自力回向的な教えではありません。さらには、信仰が進んだ先の救いならば平生業成とは言えません。


短い文章の中に、
・向くべきものが弥陀ではなく知識になっているという問題
・他力回向の教えが自力回向になっているという問題
が書かれていましたが、この2つの問題は救いに直結する重大な問題です。向くべきところを間違っていたり、教えの方向性が誤っていては、救われることはないといってもよいでしょう。「一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし」と勧める人、他力回向の教えを正しく説く人から、教えを聞いて頂きたいと念じております。
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