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「善人になってこいというのは諸仏」というのならば・・・

『なぜ私は親鸞会をやめたのか』高森顕徹氏と伊藤康善氏の著書の類似点(3)より引用

高森顕徹著『こんなことが知りたい(2)』
正直になってこいというのが神です。善人になってこいというのが諸仏です。
極悪人めあてに救うぞというのは阿弥陀仏だけです。こんな仏は法界広しと雖も絶対にありません。


親鸞会発行の最近の『顕真』では「宿善と聴聞と善のすすめ」と題して、宿善についての連載記事が掲載されています。内容は、『本願寺なぜ答えぬ』などの過去の著作からの引用がほとんどで『飛雲』でその誤りがすでに指摘されています。

親鸞会では、
・修善は獲信の因縁(宿善)になる
とか、
・宿善は待つにあらず、求むるものなり
とか、
・宿善薄く生まれた者は、どうもがいても宿善厚くなれないのなら、宿善開発(信心獲得)はありえない
とか、
・修善は獲信とよい関係にある
などと説きます。しかし、宿善(宿世の善根)が厚くなって救われる(信心決定する)というのは、善人になってこいということと同義です。これでは、上の引用文にあるように、諸仏の教えになってしまいます。阿弥陀仏の第十八願の救いを説く親鸞聖人の教えではありません。

「極悪人めあてに救う」という阿弥陀仏の第十八願の救いには、私が行った善も、犯した悪も無関係です。

おほよそ大信海を案ずれば、貴賤緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず。(信文類
(現代語訳)
総じて、この他力の信心についてうかがうと、身分の違いや出家.在家の違い、また、老少男女の別によってわけへだてがあるのでもなく、犯した罪の多い少ないや修行期間の長い短いなどが問われるのでもない。

と親鸞聖人が教えられている通りです。

なお、上の『こんなことが知りたい』の文章は、上記のサイトで指摘されているように、伊藤康善氏の文章からのパクリです。

伊藤康善著『仏敵』P22
「正直で来いというのが神様です。善人になって来いというのが諸仏です。
悪人目掛けて救うぞよと呼びかけるのはただ阿弥陀様だけです。こんな仏様が法界広しといえどもどこにおられますか?」


親鸞会が説いている「善のすすめ」というものが、盗作した文章ではありますが、過去に自分が書いた文章と合致していないことに、教えを説いている本人は気がついていないようです。
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コメント

[C157]

時代(都合?)とともに自在に変わる親鸞会の教え。親鸞会草創期において、三願転入は真宗の根基、などと説かれていたのか、当時を知る会員さんに聞いてみたい。
  • 2011-01-15 16:28
  • 広島の名無し
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[C158]

時代(都合?)とともに自在に変わる親鸞会の教え。親鸞会草創期において、三願転入は真宗の根基などと説かれていたのか、当時を知る会員さんに聞いてみたい。
  • 2011-01-15 16:36
  • 広島の名無し
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  • 編集

[C159]

昭和44年の「こんなことが知りたい①」には、信心決定するには、廃立が最も大切 と書いています。

昭和57年「こんなことが知りたい④」で
三願転入を説いています。

  • 2011-01-15 23:21
  • ため息
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[C160]

>広島の名無し様

親鸞会草創期において、三願転入は親鸞聖人の教えの根基などとは説かれていなかったに違いありません。『会報』には、そんなこと書かれていませんし、しかも「三願転入の御文」も出てきません。しかし、当時を知る現役会員は相当のマインドコントロール下にあると思いますので、何とも思っていないのかもしれません。

>ため息様

コメント有り難うございました。時代とともに教えが変わっていることは、親鸞会からの発行物を年代順にみてみればわかりますね。
  • 2011-01-16 12:48
  • いつもの元会員
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[C161]

そういえば 2000畳ができる少し前まで 教学講義は 三重廃立でしたね。

「教行信証は三重廃立を示された書物だと言われています」
と書いてるのに…。

「だから仮の浄土仏教を捨てて真実の
浄土仏教を信じて救われよということです。
このように、廃立を除いては、仏教も親鸞聖人の教えもないことを知らねばなりません。
また、私たちの救われる道もないのです」
と 締めくくってます。
善 をしなければ廃立が出来ないというのでしょうか。

何にしても めちゃくちゃですね。
  • 2011-01-16 14:00
  • ため息
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[C162]

>ため息様

教学講義が約1年間中断される前が「雑行・雑修・自力の心」で、再開後が「三願転入の御文」でしたね。
その「雑行・雑修・自力の心」のとき、「三重廃立」=「自他力廃立」という話が何回かなされていたと記憶しています。

親鸞会の場合、雑行の話をするといっても「善をするなということではない」という話がメインですし、阿弥陀仏の本願に反する悪い心がけを捨てよということだといっても肝心の阿弥陀仏の本願が話されないうちに一日の講義が終ってしまいますから・・・ そして、次の教学講義はまた最初からやって同じくらいのところまで・・・ その繰り返しでした・・・

肝心の本願の話も、全くダメだったので、浄土真宗でも何でもなかったのですが・・・

会員さんの理解だと、善をした先に三重廃立の完成があるというものでしょう。
  • 2011-01-16 14:19
  • いつもの元会員
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