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ここ数日の記事のまとめ

現在は、『一念多念証文』の

おほよそ八万四千の法門は、みなこれ浄土の方便の善なり。これを要門といふ。これを仮門となづけたり。この要門・仮門といふは、すなはち『無量寿仏観経』一部に説きたまへる定善・散善これなり。定善は十三観なり、散善は三福九品の諸善なり。これみな浄土方便の要門なり、これを仮門ともいふ。この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらへて、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、よろづの自力の善業をば、方便の門と申すなり。

のお言葉について書いています。

親鸞聖人は要門を勧められているのか?では、『化身土文類』のお言葉から親鸞聖人において要門の行信を勧められているようなお言葉は存在しないことを書きました。

次に、条件付き十八願では、十八願を「(善が)できない(と知らされた)ときに、無条件の救いにあうのだ」と説くことにより、「善ができない自分と知らされなければ」と親鸞会会員に理解させていることを示しました。

この条件をつけることで、「善ができない自分と知らされるところまで善を実行しなさい」という独自の教義が出てくるのです。

しかし、十八願の救いは自分の何か実行したこととは無関係であること、自分の方から進んでいく救いではないことを知って頂くために、

きくことが違う
道はない
難信です。他力だから。

という記事を書きました。要門(19願)の行信をたとえ教説の通りにどれだけ実行しても、十八願に入るということはないのです。



ここ数回書いてきたことのまとめです。

「善ができない自分と知らされてこい」のお慈悲ではありません。
「そのままこい」のお慈悲です。

私には何の要求もされていないのに、私の方で計らって、「そのままこい」の勅命を拒絶することが問題なのです。
善ができない自分と知るか知らないかなどは問題にもされていません。

本願を計らいなく聞き受けて下さい。「必ず助ける」の仰せを計らいなく聞くのが、すなわち信です。




次回の記事では、
この要門・仮門より、もろもろの衆生をすすめこしらへて、本願一乗円融無碍真実功徳大宝海にをしへすすめ入れたまふがゆゑに、よろづの自力の善業をば、方便の門と申すなり。
の記事に出てくる「本願一乗」というお言葉について窺ってみたいと思います。
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