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内輪向けに嘘ばかり教え込むS会は本当に姑息だと思います(コメント欄より)

前回の記事にカウフマン様よりコメントを頂きました。

「拝読・浄土真宗のみ教え」より

人生そのものの問い

 日々の暮らしのなかで、人間関係に疲れた時、自分や家族が大きな病気になった時、身近な方が亡くなった時、「人生そのものの問い」が起こる。「いったい何のために生きているのか」「死んだらどうなるのか」
 この問いには、人間の知識は答えを示せず、積み上げてきた経験も役には立たない。
 目の前に人生の深い闇が口を開け、不安のなかでたじろぐ時、阿弥陀如来の願いが聞こえてくる。
 親鸞聖人は仰せになる。

  弥陀の誓願は無明長夜のおほきなるともしびなり

「必ずあなたを救いとる」という如来の本願は、煩悩の闇に惑う人生の大いなる灯火となる。この本願をたよりとする時、「何のために生きているのか」「死んだらどうなるのか」、この問いに確かな答えが与えられる。(「拝読・浄土真宗のみ教え」より)

 この言葉や梯和上の聖典セミナーなどにも「生きる意味と方向性」について言及されていますね。それらの事実に目をふさいで一方的に内輪向けに嘘ばかり教え込むS会は、本当に姑息だと思います。


コメント頂いた『拝読・浄土真宗のみ教え』(本願寺出版)でも、親鸞聖人のお言葉を出して「生きる意味」について教えられています。

このことからも、親鸞会の言う
親鸞聖人の教えに人生の目的が説かれているか?
本願寺 いない
親鸞会 いる

が事実に反していると分かります。

ただし、「何のために生きているのか」「死んだらどうなるのか」 という言葉は親鸞会と同じですが、方向が違うことに注意しなければなりません。

親鸞会では、私が何かを実践して求めていくものとして「人生の目的=信心獲得」が語られます。具体的にいうと、私が聞法したという行為、私が勤行をしたという行為、私が財施した行為や人を法話にお誘いしたという行為によって、人生の目的の完成(=信心獲得)に近づいていくという自力回向的な説き方です。このブログで何度も指摘しているように、これは他力回向の真宗教義に反しています。

「本願力回向の信心」と教えられているように、浄土真宗で教えられている信心は、私が何かを実践して求めていった結果として与えられるものではありません。浄土真宗の信心とは、阿弥陀仏の本願力によってのみ恵み与えられるものであり、阿弥陀仏の本願を疑いなく聞きいれることです。聞くことがそのまま信心なのです。このことを、親鸞聖人は『一念多念証文』に、
きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。(中略)「信心」は、如来の御ちかひをききて疑ふこころのなきなり。
と教えられています。生きる意味も死ぬ意味も分からない私が、「我をたのめ、必ず浄土に往生させる」という本願のみ言葉を疑いなく聞き受けたとき、浄土に向かって生きる人生と「生きる意味と方向性」が与えられるのです。このことについて、上の引用文では、『この本願をたよりとする時、「何のために生きているのか」「死んだらどうなるのか」、この問いに確かな答えが与えられる』と書かれています。親鸞会と同じ言葉を使っていますが、親鸞会教義に見られる自力回向的な考え方は全く見られません。
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名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
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