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善を説かれたのは・・・(親鸞会:実行させるため、法然聖人:廃せんがため)

最近の顕正新聞を読む機会がありました。法友通信に自分と縁があった人が載っているのを見ると、早くこれらの人達も親鸞会教義の誤りに気がついて、親鸞会から離れてもらいたいと気持ちが起こってきます。私は、親鸞会会員の人が同じ空間に存在することが許されない者という位置づけに親鸞会内部でなっているようですので、こちらから働きかけることはほぼ不可能になってしまっています。そんな会員の人達も、何らかのきっかけでネットを見ることもあるでしょうから、時折、親鸞会教義の誤りについてこのブログに綴っていきたいと思います。

さて、顕正新聞平成24年12月1日号に、以下の文章が掲載されていました。

●善を説くのは実行させるため
 
 当然だが、弥陀も釈迦も善を説かれたのは、善を止めさせるためではない。
 善を実践させるためである。
 孝行を説くのは、孝行させるためであって不孝者になれということではない。
 雑行をやってもいない者に、雑行を捨てよという人はない。タバコ飲まない人に、タバコ飲むなと注意する人がないのと同じである。


善知識方のお言葉を知らない親鸞会会員の人がこれを読めば、その通りだと納得してしまうことだと思います。しかし、善知識方のお言葉を知れば、「善を説くのは実行させるため」という親鸞会の主張は、浄土真宗に反する邪義であることが分かります。

諸善(=諸行)について、親鸞聖人が、本師と仰がれる法然聖人は『選択本願念仏集』で次のように教えられています。

諸行を廃して念仏に帰せしめんがためにしかも諸行を説く。(三輩章

諸行は廃せんがために説く、念仏は立せんがために説く。(三輩章


諸善(=諸行)を説かれたのは「廃せんがため」と明確に教えられています。また、定散二善について教えられた次のようなお言葉もあります。

定散を説くことは、念仏の余善に超過したることを顕さんがためなり。もし定散なくは、なんぞ念仏のことに秀でたることを顕さんや。(念仏付属章

ここでは、念仏を引き立てるために説かれたのが定散二善であると教えられています。

かつてこれらの『選択集』のお言葉をある会員さんに提示したことがあるのですが、そのとき、その会員さんは、「親鸞聖人が諸行を廃せとか捨てよと仰ったところはどこにもない。諸行を、雑行と言い換えて、雑行を捨てよと親鸞聖人は教えられているのだ」と言ってきました。しかし、このような論難も親鸞聖人の教えを知らないところから出てくるもので、親鸞聖人は、

おほよそ浄土の一切諸行において、綽和尚(道綽)は「万行」(安楽集・下)といひ、導和尚(善導)は「雑行」(散善義)と称す。感禅師(懐感)は「諸行」(群疑論)といへり。信和尚(源信)は感師により、空聖人(源空)は導和尚によりたまふ。(化身土文類

と「諸行」=「万行」=「雑行」であると教えられています。つまり、「雑行を捨てよ」も「諸行を廃せよ」も同じことなのです。

諸行は廃せんがために説く」と教えられた法然聖人から教えを承けられたのが親鸞聖人ですから、当然、親鸞聖人の教えには、親鸞会の説くような「善のすすめ」はありません。親鸞聖人は、『教行信証』に、『選択集』から引文されて次のように教えられています。

それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲はば、正・雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛ちて、選んで正行に帰すべし。正行を修せんと欲はば、正・助二業のなかに、なほ助業を傍らにして、選んで正定をもつぱらにすべし。正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに。(行文類

「聖道門はさしおけよ、雑行はなげうてよ、助業はかたわらにせよ」と教えられて、「正定をもつぱらにすべし。正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり」と称名念仏の一行を勧められています。称名念仏の一行を勧められたのは、それが阿弥陀仏が本願において選び取られた行だからです。阿弥陀仏は、私たちを往生させるために、最勝にして至易なる称名念仏の一行を選取され、他の一切の余行は選び捨てられました。その阿弥陀仏の御心に信順し、念仏称えるものは、かならず報土往生できるのです。それが、阿弥陀仏の本願だからです。そのことを、法然・親鸞両聖人は、「称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに」と言い切られたのでした。

さて、上で紹介した顕正新聞の言葉には、親鸞会のお決まりの文句である「雑行をやってもいない者に、雑行を捨てよという人はない」が出てきます。そのように親鸞会の人が言ってきたら、親鸞聖人は、上の『行文類』のお言葉の最初に「聖道門はさしおけよ」と言われていますから、「聖道門の修行をやってもいない親鸞会の皆さんは、まず聖道門の修行から始めなければなりませんね」とでも言ってみるのがいいでしょう。

また、「タバコ飲まない人に、タバコ飲むなと注意する人がないのと同じである」とも書いていますが、これも完全に破綻しています。中学校の先生が生徒に向かって「タバコ吸うな」と言うのは、吸っていない生徒にも、陰でこそこそ吸っている生徒にも「吸うな」と言っているのです。この場合「吸うな」と言われている対象は、中学校の生徒全体です。

上で示した『行文類』のお言葉から明らかなように、法然・親鸞両聖人が、「聖道門はさしおけよ、雑行はなげうてよ、助業はかたわらにせよ」と教えられて、称名念仏一行の専修を勧められた対象は、「すみやかに生死を離れんと欲っている」人々です。雑行をやっている者にも、やっていない者にも、すみやかに生死を離れようとおもうならば、雑行をなげうてよと教えられているのです。「雑行をやってもいない者に、雑行を捨てよという人はない」という親鸞会の詭弁に引っかからないようにして下さい。

さらに、「親鸞聖人の教えには善のすすめがない」というと、「善をしなければ善果はかえってきませんよ」と言ってくる親鸞会の会員さんがいますが、これは論点のすり替えです。親鸞聖人の教えの目的は、上の『行文類』のお言葉でいうと、「すみやかに生死を離れる」ことです。「親鸞聖人の教えには善のすすめがない」というのは、「親鸞聖人は、すみやかに生死を離れるために、善をすすめてはおられない」ということです。ここで、「善をしなければ善果はかえってきませんよ」と言い出すのは、日常の生活面のことでしょうから、親鸞聖人の教えの目的から外れた論点のすり替えなのです。

顕正新聞の「善を説くのは実行させるため」の言葉の中には、一言も善知識方のお言葉が出てきません。それどころか、善知識方のお言葉に反することが堂々と書かれているのです。

善を説かれたのは、
  親鸞会:実行させるため
  法然聖人:廃せんがため


親鸞会が、善知識方のお言葉よりも、高森会長の考えを優先させている証拠の一つです。
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[C251] 秘密コメント様

「先生」や「お」をつけているのは、現役会員の人が抵抗感なく読めるようにという配慮からです。実際に、親鸞会や高森会長のことを悪く言っているというだけで、批判ブログに拒絶感を抱く会員さんがいました。

一方で、貴兄のように思われる方もありますので、ご意見を考慮して、カテゴリー名を変更しました。

また何かご意見ありましたら、いつでもコメントください。
  • 2013-01-28 01:41
  • いつもの元会員
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[C254] 秘密コメント様

ご要望の通りにしました。
他にも何かあれば言ってください。
  • 2013-02-01 23:17
  • いつもの元会員
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