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[C270] 宿善

宿善があって善知識に遇う。
でわ善知識に遇った方々は、宿善とは何か知っているのでしょうか?
善知識の能というは・・・
弥陀から聞ときくと言っても、宿善に厚薄あります。
宿善とは?
厚薄とは?
知らない方々にはお話せねば薄いものも厚くならないのでは?
  • 2013-04-25 19:28
  • 冨田 信
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[C330]

宿善が気になる人は唯信鈔をよくよく拝読されんことを


五「畳」の義とは違います
  • 2013-08-09 13:35
  • 宿善薄くとも救われる
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「宿善の意味を聞くための聞法道場が二千畳」という論説に親鸞会会員は疑問を持たねばならない

親鸞会公式ホームページに「まことに宿善まかせ 蓮如上人のご遺言」という記事がアップされていました。これは、顕正新聞1月1日号の論説で、既に親鸞会を脱会した人(したい人)へでも取り上げられていましたが、あまりにも酷い内容なので当ブログでも取り上げたいと思います。

まず、今回取り上げる部分についての抜粋です。全文を読みたい方は、リンク先をご覧ください。

「これによりて五重の義を立てたり。一には宿善、二には善知識、三には光明、四には信心、五には名号、この五重の義成就せずは、往生は叶うべからずと見えたり」
(御文章2帖目11通)

 親鸞聖人のみ教えを、一器の水を一器に移すがごとく、伝えられた蓮如上人のご金言である。

(中略)

 冒頭の『御文章』で蓮如上人は、「五つのものがそろわなければ、極楽往生はできないし、仏にはなれない」と厳しく仰っている。

(中略)

 では「五重の義」とは何か。
その第一が「宿善」である。

(中略)

 では、それほどに重要な宿善とは何か。全人類の最大関心事でなければならぬであろう。

(中略)
 
「宿善まかせ」とまで蓮如上人が仰る「宿善」を、親鸞学徒は当然、熟知していなければならない。それを聞くための聞法道場が、二千畳なのである。


なお、今回、省略した部分に挙げられている御文章のお言葉の正しい意味を知りたい方は、『親鸞会教義の誤り』宿善とはを参考にされるとよいと思います。

本題に入ります。一番問題だと思ったのは、論説の結論
「宿善まかせ」とまで蓮如上人が仰る「宿善」を、親鸞学徒は当然、熟知していなければならない。それを聞くための聞法道場が、二千畳なのである。
です。「宿善の意味を聞くための聞法道場が二千畳なのだ」という主張ですが、これは蓮如上人にも、論説の最初に挙げられた五重の義の御文章(御文章2帖目11通)にも反する邪義です。

論説では「五重の義」の意味について全く解説されていませんが、五重の義の「重」の意味を親鸞会の会員さんは、よく知らなければなりません。この「重」とは、前のものが後をおこし、後のものが前に重なってゆくという意味です。すなわち五重の義とは、「宿善」によって「善知識」に遇い、「光明」のはたらきによって「信心」を獲得し、その信心の相続するすがたが称名念仏(「名号」)となってあらわれるということを教えられたものです。そして、このような五重の義を立てることによって、「十劫安心」と「善知識だのみ」の誤りを正されたものが五重の義の御文章です。

宿善があって善知識に遇うのであって、善知識に遇って宿善について聞くのではありません。この順番に注意してください。親鸞会では、ここを間違ってしまっているのです。
そもそも、善知識の役目は、五重の義の御文章に
そもそも善知識の能といふは、一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと、ひとをすすむべきばかりなり。
善知識といふは、阿弥陀仏に帰命せよといへるつかひなり。
と教えられている通り、「弥陀に帰命せよ」と勧めることただ一つです。聞く立場の者からいえば、「弥陀に帰命する」こと一つを聞くのです。

「われをたのめ(南無)、必ず助ける(阿弥陀仏)」の如来の仰せをお取次ぎするのが善知識であり、如来の仰せを聞いたそのままが信心です。宿善の意味を説くのが善知識の任務ではなく、宿善の意味を聞くために聞法するのでもありません。

蓮如上人が、80通の御文章のどこに宿善の意味を解説されているというのでしょうか?蓮如上人は、「雑行をすてて、後生たすけたまえと一心に弥陀をたのめ」、このこと一つを御文章にお書き下さいました。

そのような蓮如上人の姿勢に反し、御文章の御教導に反し、「宿善の意味を聞くための聞法道場が二千畳」と書く親鸞会。蓮如上人を親鸞学徒の鑑と尊敬している親鸞会の会員さんならば、説法の目的・聞法の目的がずれてしまっている今回のような論説を読んだら疑問をもたねばなりません。

最後に、五重の義の御文章を拝読しましょう。

それ、当流親鸞聖人の勧化のおもむき、近年諸国において種々不同なり。これおほきにあさましき次第なり。そのゆゑは、まづ当流には、他力の信心をもつて凡夫の往生を先とせられたるところに、その信心のかたをばおしのけて沙汰せずして、そのすすむることばにいはく、「十劫正覚のはじめよりわれらが往生を弥陀如来の定めましましたまへることをわすれぬがすなはち信心のすがたなり」といへり。これさらに、弥陀に帰命して他力の信心をえたる分はなし。さればいかに十劫正覚のはじめよりわれらが往生を定めたまへることをしりたりといふとも、われらが往生すべき他力の信心のいはれをよくしらずは、極楽には往生すべからざるなり。またあるひとのことばにいはく、「たとひ弥陀に帰命すといふとも善知識なくはいたづらごとなり、このゆゑにわれらにおいては善知識ばかりをたのむべし」と[云々]。これもうつくしく当流の信心をえざる人なりときこえたり。そもそも善知識の能といふは、一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと、ひとをすすむべきばかりなり。これによりて五重の義をたてたり。一つには宿善、二つには善知識、三つには光明、四つには信心、五つには名号。この五重の義、成就せずは往生はかなふべからずとみえたり。されば善知識といふは、阿弥陀仏に帰命せよといへるつかひなり。宿善開発して善知識にあはずは、往生はかなふべからざるなり。しかれども帰するところの弥陀をすてて、ただ善知識ばかりを本とすべきこと、おほきなるあやまりなりとこころうべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

信心為本の教えが宿善為本の教えになっていないか、帰するところの弥陀を捨ててただ高森会長ばかりを本としてはいないか、会員さんは我が身を振り返ってみる必要があるでしょう。
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[C270] 宿善

宿善があって善知識に遇う。
でわ善知識に遇った方々は、宿善とは何か知っているのでしょうか?
善知識の能というは・・・
弥陀から聞ときくと言っても、宿善に厚薄あります。
宿善とは?
厚薄とは?
知らない方々にはお話せねば薄いものも厚くならないのでは?
  • 2013-04-25 19:28
  • 冨田 信
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宿善が気になる人は唯信鈔をよくよく拝読されんことを


五「畳」の義とは違います
  • 2013-08-09 13:35
  • 宿善薄くとも救われる
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Author:いつもの元会員
名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
(蓮如上人)

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