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コメント

[C272] 凄く根拠にお詳しいですね

五逆をつくらず、といわれられた聖人のみ心を聖人に直接聞きたくなりました。
というのも私は五逆の者だからです。
両親を体では殺して無いのですが、心では他人に言えない事ばかり思います。生んでくれたなればこそ、後生不安な心無い身になれたと感謝する心も勿論ありますが。
末灯抄に親をそしる者をば、五逆の者と申すなり。
胸が苦しくなります。
親をそしらない人いたら会ってみたいです。

ちなみに聖人のジョウ論は、真実開顕といえど喧嘩ですよね?仲直りできてたらよけれど・・一体どれだけの人が法然上人の裁断になびかれたか。体では法然上人のお弟子でも、聖人を廃師自流といえば、仲直りとは・・・
共に教えを聞く友達との和を破られているとしか思えません。

関係有りませんが、先生がお母様との事を話なされた時に涙で目を濡らされながら・・・と言うことが印象的でした。
先生も又五逆の者であったと知らされられたと思います。
  • 2013-04-26 04:25
  • 冨田 信
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[C273] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

[C274]

富田さんは、お聖教をしっかり読んだ方がいいですよ。
末灯鈔のその御言葉の後に何が書かれてあるか知ってますか?
謗法罪の定義を知ってますか?

少なくとも、信巻くらいは読んでからコメントしないと恥をかきますよ、高森会長と同じで。

富田さんと高森会長が五逆謗法のものであっても、我等は五逆謗法のものではありませんから。善知識方がそう仰っているのですから間違いないですよ。
  • 2013-04-26 13:02
  • 脱会者
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[C275] このサイトは学者向け?

元会員さんは根拠をだされ、ご丁寧に返事下さいます。
元会員さんが現会員に根拠を上げて、早く気づいて・・・という気持ち、伝わって来ます。

脱会者さんは「自分でよまれ」って

会員さんは学者の集まりだと思います?信巻読んで正しく読める人だと思います。かなりハードル高いと思うのですが・・・

根拠を上げて、機に応じて分かるように、今の言葉でここはこういう意味ですよ!ってしていただけたら、このサイト見られる人も正しく理解されると思うのですが。
  • 2013-04-26 15:21
  • 冨田 信
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[C277]

根拠を出すのはいいですけど、管理人さんの邪魔をしてはいけないと思っていますし、富田さんにこれ以上恥をかかせない配慮をしたつもりです。

管理人さんが根拠を出して説明される筈ですから、私はとりあえずこの程度にしておきます。

逃げた、といわれるのも癪ですから、とりあえず以下でも読んでみてください。
それでも理解できなければ、いくらでも解説しますよ。でも、管理人さんの後にですが。

http://sinrankaix.exblog.jp/16112561/
  • 2013-04-26 21:14
  • 脱会者
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[C279] 冨田 信様

冨田様

富田様や高森会長が自らを五逆の者と言われるのは一向に構いませんが、「全人類=五逆謗法の者」という親鸞会教義は、親鸞聖人の教えに反するものです。

この記事では、『唯信鈔』と『西方指南抄』を挙げて、法然聖人、親鸞聖人、聖覚法印ともに「われら五逆をつくらず」と仰っていることを示しました。、「全人類=五逆謗法の者」という教義は、これらのお言葉に明確に抵触するので、親鸞聖人の教えではないと断定することができます。

『末灯鈔』のお言葉を挙げられましたが、このお言葉も前後を読めば、「全人類=五逆謗法の者」という教えは、親鸞聖人においてなかったということが分かります。以下にお言葉を示します。

「善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり、同座せざれと候ふなり。されば北の郡に候ひし善証房は、おやをのり、善信(親鸞)をやうやうにそしり候ひしかば、ちかづきむつまじくおもひ候はで、ちかづけず候ひき。」

このお手紙では、謗法の者・五逆の者とは、どのようなものかをまず述べられて、そのようなものと同席してはいけないと言われています。このことから、このお手紙を受け取った人は「謗法の者・五逆の者ではない」ということが前提でお手紙が書かれていることが分かります。文章全体を読めば、「善証房のような五逆謗法の者に近づいてはいけない」ということを書かれたものであることは明らかです。高森会長が説くようにこの『末灯鈔』のお言葉の一部分だけを取り出して、全ての人が五逆謗法の者であるという主張することは、断章取義と言わざるを得ません。

親鸞会の教学聖典にも取り上げられていますが、同じく『末灯鈔』に

師をそしり、善知識をかろしめ、同行をもあなづりなんどしあはせたまふよしきき候ふこそ、あさましく候へ。すでに謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず。『浄土論』(論註・上)と申すふみには、「かやうのひとは仏法信ずるこころのなきより、このこころはおこるなり」(意)と候ふめり。また至誠心のなかには、「かやうに悪をこのまんにはつつしんでとほざかれ、ちかづくべからず」(散善義・意)とこそ説かれて候へ。善知識・同行にはしたしみちかづけとこそ説きおかれて候へ。

というお言葉もあります。五逆謗法の者とそうでない者がいるという前提がなければ、意味のないお言葉になってしまいます。

この「全人類が五逆罪・謗法罪を造っている」という親鸞会教義の誤りについては、脱会者さんが紹介された

http://sinrankaix.exblog.jp/16112561/

にて、問答形式で分かりやすく書かれていますので、よく読んでいただきたいと思います。また、
http://sinrankaix.exblog.jp/
のサイトでは、親鸞会教義と親鸞聖人の教えの相違点10項目について、親鸞聖人のお言葉に基づいて親鸞会教義の間違いが指摘されていますので、全文を通読されることをお勧め致します。

また、当ブログは、決して学者のために書いているわけではなく、親鸞会の会員さんが親鸞会教義の誤りに気が付くきっかけをつくることを目的として書いていますので、疑問点があればコメントください。




  • 2013-04-27 00:44
  • いつもの元会員
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[C281] 親鸞聖人の言動

親鸞聖人が日野左衛門や弁円に近づかれたのはいいの?
近づくなと言われた当の本人が近づいているって・・・

私の解釈は親鸞聖人は他力の信心だからぶれる事ないから大丈夫だけど、そうでない自力の信心の人は信心がコロコロ変わるから近づくな、とお手紙で言われられたと理解しましたが。
  • 2013-04-27 05:09
  • 冨田 信
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[C282] 五逆謗法の者

五逆謗法の者とそうでない者がいるという前提がなければ、意味のないお言葉になってしまいます。

仏の眼から見ればというのが前提で全人類は五逆謗法の者。
全人類は五逆謗法の者と言う人がいても、心の底は全く自分の事と思っていないのが現状であると思います。
本願まことであったと知らされた人は十方衆生は私の事であった、五逆謗法は私の事であった、しかも本願からも唯除されていたとしらされるのです。

そうでない者とはいまだ我が身を知らされていない人だと思います
  • 2013-04-27 05:29
  • 冨田 信
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[C283]

富田さんが五逆謗法の者と思うのは勝手です。しかし、それは親鸞聖人の教えに合っているかどうかは別です。

>本願まことであったと知らされた人は十方衆生は私の事であった、五逆謗法は私の事であった、しかも本願からも唯除されていたとしらされるのです。


こう知らされなかった法然上人、聖覚法印、親鸞聖人は異安心というのが、富田さんの見解ですね。

管理人さんの言われていることは根拠の有る話、
富田さんの言われていることは根拠のない話
  • 2013-04-27 06:36
  • 脱会者
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[C284]

一応言っておきますと、日野左衛門がどんな人物か話をしてみて分かることですよ。

弁円は、向こうから会いに来たのであって、親鸞聖人が出向いて行かれたのではないです。

それと、例のブログで、信巻に記された五逆謗法の定義は分かりましたか?

高森会長、弘宣局長らでさえ反論できないことを、富田さんなら反論できるのですか?
  • 2013-04-27 06:46
  • 脱会者
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[C309] コメントを頂いた皆様

冨田様

新たな記事
http://shinrankaikansatu.blog133.fc2.com/blog-entry-114.html
を書きましたので、今後のコメントはそちらにお願いします。

また、私の代わりにコメントに答えて下された脱会者様有難うございました。
  • 2013-04-28 00:47
  • いつもの元会員
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[C310] 根拠は十八願

唯信抄は聖覚法印が書かれたもの

唯信抄文意は親鸞聖人がかかれたもの
唯信抄に引用されている経釈の要文を取り上げ、注釈を加えたもの

唯信抄文意を紐解き知らされたのは、唯信抄に「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」というお言葉には触れられていませんでした。

要文の意味は重要なお言葉と理解しました。
その重要なお言葉に「五逆をばつくらず」ということは入っていないと認識しました。

あくまで私が申し上げたかったのは、何度もいいますが、十八願が根拠と言う事です。
十八願の中に、五逆正法誹謗とあるではないですか。

  • 2013-05-04 10:09
  • 冨田 信
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[C316]

唯信鈔は、親鸞聖人が直筆で書き写されて、同行に読むように勧められた書です。

つまり、「五逆をばつくらず」と親鸞聖人が自らの手で書かれて、それを同行に読むように勧められたもの。

18願にある「五逆正法誹謗」がなぜ富田さんの根拠になるのですか?

  • 2013-05-04 20:13
  • 脱会者
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[C322] Re: 根拠は十八願

冨田信様

コメントへの返信を以下の記事に書きました。
http://shinrankaikansatu.blog133.fc2.com/blog-entry-178.html
  • 2013-05-04 22:19
  • いつもの元会員
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[C324]

日野左衛門は親鸞聖人をくされ坊主と罵ったのでは?

弁円は親鸞聖人を殺しに来たのでは?
親鸞聖人は何故逃げなかったのかな?
殺しに来た弁円に、御同朋御同行と近づかれられたのは親鸞聖人ご自身では?
  • 2013-05-06 12:24
  • 冨田 信
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[C325]

それで何が言いたいのですか?

休まれるところがなかったので、日野左衛門の家の門で休まれたのですが、それが何か?

弁円の件は御伝鈔にありますね。


聖人(親鸞)常陸国にして専修念仏の義をひろめたまふに、おほよそ疑謗の輩は少なく、信順の族はおほし。しかるに一人の僧[山臥と云々]ありて、ややもすれば仏法に怨をなしつつ、結句害心をさしはさみて、聖人をよりよりうかがひたてまつる。聖人板敷山といふ深山をつねに往反したまひけるに、かの山にして度々あひまつといへども、さらにその節をとげず。つらつらことの参差を案ずるに、すこぶる奇特のおもひあり。よつて聖人に謁せんとおもふこころつきて、禅室にゆきて尋ねまうすに、上人左右なく出であひたまひけり。すなはち尊顔にむかひたてまつるに、害心たちまちに消滅して、あまつさへ後悔の涙禁じがたし。ややしばらくありて、ありのままに日ごろの宿鬱を述すといへども、聖人またおどろける色なし。たちどころに弓箭をきり、刀杖をすて、頭巾をとり、柿の衣をあらためて、仏教に帰しつつ、つひに素懐をとげき。不思議なりしことなり。すなはち明法房これなり。上人(親鸞)これをつけたまひき。


最初に「疑謗の輩は少なく、信順の族はおほし」とありますが、これは謗法の者少なく、謗法でない者は多いということですが。弁円は謗法の者だったという前提で、親鸞聖人の教えを聞いていた多くの人は謗法の者でないということですが。



それで結局、十方衆生が五逆謗法の者という根拠は全くないことを認めたのですね。根拠はないが、そうに違いない、と苦し紛れの言い訳ですね。


結論は変わりません。

管理人さんは根拠のある話。
富田さんは、根拠のない話。

根拠を出さない限り、このまま。
  • 2013-05-06 13:02
  • 脱会者
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[C326] 近づくな

唯信抄を皆さんに読み勧められた親鸞聖人が、罵った日野、謗法の弁円に近づかれた。
親鸞聖人は近づいてもいいのかな?
と疑問に思ったので・・
  • 2013-05-06 14:56
  • 冨田 信
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[C327]

日野左衛門、弁円に、親鸞聖人から近付かれたのではないですが。

ちなみに、五逆謗法の者で近付くな、といわれた対象は、いくら諌めても五逆謗法をやめないような者のことですよね。

善鸞義絶状を見てもわかりますが、親鸞聖人は善鸞を何度も諌められてそれでも改めなかったので、善鸞のことを五逆謗法の者として近付くなと仰ってますね。

もう一つ言っておくと、以前にもコメントに書きましたが、謗法については信巻に詳しく書かれていますよ。
簡潔に紹介すると、曇鸞大師の浄土論註を引用されて


 問うていはく、たとひ一人は五逆罪を具して正法を誹謗せざれば、経に得生を許す。また一人ありてただ正法を誹謗して、五逆もろもろの罪なきもの往生を願ぜば、生を得るやいなやと。
 答へていはく、ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ。


とありますが、意味は、

五逆罪を造って謗法罪を造らない者は往生できるが、五逆罪を造らずに謗法罪を造っている者は往生できるのか、との質問に対しての答えが、
他の罪を造っていなくても謗法罪を造っている者は絶対に往生できない、と断言されています。


この後に善導大師の法事讃を引用されて


仏願力をもつて、五逆と十悪と罪滅し生ずることを得しむ。謗法・闡提、回心すればみな往く


とあります。意味は ,
五逆と十悪の者は、その罪を滅して往生できるが、謗法・闡提の者は回心して往生する、つまり、謗法・闡提の者は、回心しなければ往生できない、謗法・闡提の者は謗法・闡提でなくならなければ往生できない、ということですね。


曇鸞大師・善導大師、そしてこれらの御文を引用された親鸞聖人は、謗法の者と謗法でない者がいて、謗法の者は謗法のままでは往生できないと教えられているのですよ。

もし全人類が謗法の者であり続けるなら、絶対に往生できないということです。


日野左衛門も弁円も、謗法の者から謗法でない者になって親鸞聖人のお弟子になったのですね。
しかし、謗法の者が頑なに謗法罪を造り続けているような場合には、決して近付いてはならない、こういうことですよ。
  • 2013-05-06 15:24
  • 脱会者
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[C328] 脱会者さん有難うございまさす。

回心をどう理解されてるか非常によくわかりました。
  • 2013-05-07 08:11
  • 冨田 信
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[C329]

反論は、それくらいだろうと思っていました。

善導大師が回心と仰るのは、心を翻す、つまり心を改めるの意で、覚如上人が仰った回心は、獲信の意で違いますからね。


いつまでも惨めな言い訳をするのはやめた方がよろしいかと思います。


なお浄土論註の


ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ


から、謗法の者である会長と冨田さんは絶対に往生できないそうです。謗法ではない十悪五逆の者は往生できますが。
  • 2013-05-07 08:28
  • 脱会者
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(続)根拠のある話と根拠のない話

冨田 信様より、多くのコメントを頂きました。
本記事では、以下のコメントについて返事いたします。
その他のコメントについての返事は、数日お待ちください。

根拠が無いと言われる事に関して

平生業成という言葉は親鸞聖人が初めて言われたお言葉と聞いております。
また、親鸞聖人は廃師自流と非難されました。
教行信証は八割が根拠、二割が親鸞聖人のお言葉と聞いております。間違っていたら申し訳ありません。
親鸞聖人の教えでなく、先生の教えと言われても・・・
当時の親鸞聖人の心境と先生の心境と重なりを感じます。
私がはっきりしている事は、後生不安な心を抱えていた時は弥陀の本は当然の如く疑い一杯だったですし、先生のお話は、疑問有りながら聞いていました。
今は後生はっきりしているので弥陀の本願に疑いようが無いし、弥陀の本願有る事を教えて下さった先生を疑いようがありません。
今でも先生のお話聞いていて疑問に思う事はありますが、弥陀の本願に疑い無いから・・・先生がどうしてそなような話され方をされたのか、その心を機会が有れば教えて頂きたい・・・という感じです。
言葉変えれば教義、学問の分野にしか過ぎません(言葉悪いですけど・・・あくまでも今の私の弥陀から頂いた信心と比べれば)。
逆にお尋ねしたいですね、親鸞聖人が平生業成と言葉を作られた聖人の教え、と釈迦の教えの類似点、又相違点。親鸞聖人が廃師自流と言われた理由をどう理解されているのか。
長々とすいません、思ったままを書いてしまいました。


(管理人注:廃師自流→背師自立の書き誤りだと思います)


まず、「平生業成」という言葉を初めて使われたのは、親鸞聖人ではありません。覚如・存覚上人です。例えば、覚如上人の『改邪鈔』には、

もし「即得往生住不退転」(大経・下)等の経文をもつて平生業成の他力の心行獲得の時剋をききたがへて、「名帳勘録の時分にあたりて往生浄土の正業治定する」なんどばし、ききあやまれるにやあらん。

とあり、存覚上人の『浄土真要鈔』には、

親鸞聖人の一流においては、平生業成の義にして臨終往生ののぞみを本とせず、不来迎の談にして来迎の義を執せず。ただし平生業成といふは、平生に仏法にあふ機にとりてのことなり。もし臨終に法にあはば、その機は臨終に往生すべし。平生をいはず、臨終をいはず、ただ信心をうるとき往生すなはち定まるとなり。これを即得往生といふ。

と教えられています。

私が前回の記事で書いたことは、今まで誰も使った言葉を使ってはいけないとか、新しい言葉を使ってはいけないということではありません。

平生業成とは、平生の聞信の一念に往生の業事が成弁するという意味だということは御存知だと思います。親鸞聖人は「平生業成」という言葉を一箇所も使ってはいませんが、平生業成を意味するお言葉は、何箇所もあります。例えば、

真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まるとき往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず。(親鸞聖人御消息

弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即のとき必定に入る。 (正信偈)

しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行を獲れば、即のときに大乗正定聚の数に入るなり。(証文類


などと教えられています。このような親鸞聖人の教えを承け、覚如・存覚上人は「平生業成」という言葉を使われた訳です。

では、親鸞聖人は、なぜ平生の聞信の一念に往生が定まるということを教えられたのかといえば、それも善知識方の教えを承けられてのことです。直接の師である法然聖人は『和語灯録』に、

問うていわく、摂取の益をこうむる事は平生か臨終か、いかん。答えていわく、平生の時なり。

と教えられていますし、龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』には、

人よくこの仏の無量力威徳を念ずれば、即時に必定に入る。

とあります。もっとさかのぼれば、「平生業成」は、『本願成就文』に、

聞其名号信心歓喜乃至一念・・・即得往生住不退転

と釈尊が説かれたことに拠るものです。

このように、「平生業成」は、その言葉自体は覚如・存覚上人によるものですが、意味することは善知識方の教えに合致しているのです。


一方、冨田様が別のコメントで話題にされた「弥陀は全人類を逆謗の一機と見抜かれた」ということは、その意味に対応するような善知識方のお言葉は存在せず、高森会長独自の教えといえます。本願文の「唯除五逆誹謗正法」が、それに対応していると親鸞会では教えられていると思いますが、それは誤った解釈です。親鸞聖人が、「唯除五逆誹謗正法」を直接解釈されたお言葉は『尊号真像銘文』にある

「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。

です。簡単に言うと、五逆罪、謗法罪が重罪であることを知らせて、すべての者がみな往生できることを示されたお言葉が「唯除五逆誹謗正法」だということです。つまりは、五逆罪、謗法罪のものでさえも救われるのだから、一切の衆生が漏れずに救われることを述べられているのです。

親鸞会の会員さんは、「五逆罪、謗法罪を造っていない人などいるのか?」と思われると思いますが、親鸞聖人が書写なされ、同行に拝読を勧められていた『唯信鈔』には、

われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず

とあり、親鸞聖人が法然聖人の法語などを収集された『西方指南抄』には、

三宝の世にむまれて、五逆をつくらざるわれら、弥陀の名号をとなえむに、往生うたがふべからず。

と教えられています。法然聖人、親鸞聖人、聖覚法印ともに「五逆をつくらず」です。

このように、「弥陀は全人類を逆謗の一機と見抜かれた」ということは、根拠がないだけでなく、善知識方の教えに反しているので、誤りだと言っているのです。

では、阿弥陀仏は全ての人をどのように見抜かれたのかということですが、それについては以前の記事「阿弥陀仏は十方衆生を逆謗の屍と見抜かれたのか? 」に書いてありますので、そちらをご参照ください。

これで、私が「根拠がある」とか「根拠がない」ということを、どのような意味で使っているのかがお分かり頂けると思いますが、分からないことがあればコメントください。
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[C272] 凄く根拠にお詳しいですね

五逆をつくらず、といわれられた聖人のみ心を聖人に直接聞きたくなりました。
というのも私は五逆の者だからです。
両親を体では殺して無いのですが、心では他人に言えない事ばかり思います。生んでくれたなればこそ、後生不安な心無い身になれたと感謝する心も勿論ありますが。
末灯抄に親をそしる者をば、五逆の者と申すなり。
胸が苦しくなります。
親をそしらない人いたら会ってみたいです。

ちなみに聖人のジョウ論は、真実開顕といえど喧嘩ですよね?仲直りできてたらよけれど・・一体どれだけの人が法然上人の裁断になびかれたか。体では法然上人のお弟子でも、聖人を廃師自流といえば、仲直りとは・・・
共に教えを聞く友達との和を破られているとしか思えません。

関係有りませんが、先生がお母様との事を話なされた時に涙で目を濡らされながら・・・と言うことが印象的でした。
先生も又五逆の者であったと知らされられたと思います。
  • 2013-04-26 04:25
  • 冨田 信
  • URL
  • 編集

[C273] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

[C274]

富田さんは、お聖教をしっかり読んだ方がいいですよ。
末灯鈔のその御言葉の後に何が書かれてあるか知ってますか?
謗法罪の定義を知ってますか?

少なくとも、信巻くらいは読んでからコメントしないと恥をかきますよ、高森会長と同じで。

富田さんと高森会長が五逆謗法のものであっても、我等は五逆謗法のものではありませんから。善知識方がそう仰っているのですから間違いないですよ。
  • 2013-04-26 13:02
  • 脱会者
  • URL
  • 編集

[C275] このサイトは学者向け?

元会員さんは根拠をだされ、ご丁寧に返事下さいます。
元会員さんが現会員に根拠を上げて、早く気づいて・・・という気持ち、伝わって来ます。

脱会者さんは「自分でよまれ」って

会員さんは学者の集まりだと思います?信巻読んで正しく読める人だと思います。かなりハードル高いと思うのですが・・・

根拠を上げて、機に応じて分かるように、今の言葉でここはこういう意味ですよ!ってしていただけたら、このサイト見られる人も正しく理解されると思うのですが。
  • 2013-04-26 15:21
  • 冨田 信
  • URL
  • 編集

[C277]

根拠を出すのはいいですけど、管理人さんの邪魔をしてはいけないと思っていますし、富田さんにこれ以上恥をかかせない配慮をしたつもりです。

管理人さんが根拠を出して説明される筈ですから、私はとりあえずこの程度にしておきます。

逃げた、といわれるのも癪ですから、とりあえず以下でも読んでみてください。
それでも理解できなければ、いくらでも解説しますよ。でも、管理人さんの後にですが。

http://sinrankaix.exblog.jp/16112561/
  • 2013-04-26 21:14
  • 脱会者
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[C279] 冨田 信様

冨田様

富田様や高森会長が自らを五逆の者と言われるのは一向に構いませんが、「全人類=五逆謗法の者」という親鸞会教義は、親鸞聖人の教えに反するものです。

この記事では、『唯信鈔』と『西方指南抄』を挙げて、法然聖人、親鸞聖人、聖覚法印ともに「われら五逆をつくらず」と仰っていることを示しました。、「全人類=五逆謗法の者」という教義は、これらのお言葉に明確に抵触するので、親鸞聖人の教えではないと断定することができます。

『末灯鈔』のお言葉を挙げられましたが、このお言葉も前後を読めば、「全人類=五逆謗法の者」という教えは、親鸞聖人においてなかったということが分かります。以下にお言葉を示します。

「善知識をおろかにおもひ、師をそしるものをば謗法のものと申すなり。おやをそしるものをば五逆のものと申すなり、同座せざれと候ふなり。されば北の郡に候ひし善証房は、おやをのり、善信(親鸞)をやうやうにそしり候ひしかば、ちかづきむつまじくおもひ候はで、ちかづけず候ひき。」

このお手紙では、謗法の者・五逆の者とは、どのようなものかをまず述べられて、そのようなものと同席してはいけないと言われています。このことから、このお手紙を受け取った人は「謗法の者・五逆の者ではない」ということが前提でお手紙が書かれていることが分かります。文章全体を読めば、「善証房のような五逆謗法の者に近づいてはいけない」ということを書かれたものであることは明らかです。高森会長が説くようにこの『末灯鈔』のお言葉の一部分だけを取り出して、全ての人が五逆謗法の者であるという主張することは、断章取義と言わざるを得ません。

親鸞会の教学聖典にも取り上げられていますが、同じく『末灯鈔』に

師をそしり、善知識をかろしめ、同行をもあなづりなんどしあはせたまふよしきき候ふこそ、あさましく候へ。すでに謗法のひとなり、五逆のひとなり。なれむつぶべからず。『浄土論』(論註・上)と申すふみには、「かやうのひとは仏法信ずるこころのなきより、このこころはおこるなり」(意)と候ふめり。また至誠心のなかには、「かやうに悪をこのまんにはつつしんでとほざかれ、ちかづくべからず」(散善義・意)とこそ説かれて候へ。善知識・同行にはしたしみちかづけとこそ説きおかれて候へ。

というお言葉もあります。五逆謗法の者とそうでない者がいるという前提がなければ、意味のないお言葉になってしまいます。

この「全人類が五逆罪・謗法罪を造っている」という親鸞会教義の誤りについては、脱会者さんが紹介された

http://sinrankaix.exblog.jp/16112561/

にて、問答形式で分かりやすく書かれていますので、よく読んでいただきたいと思います。また、
http://sinrankaix.exblog.jp/
のサイトでは、親鸞会教義と親鸞聖人の教えの相違点10項目について、親鸞聖人のお言葉に基づいて親鸞会教義の間違いが指摘されていますので、全文を通読されることをお勧め致します。

また、当ブログは、決して学者のために書いているわけではなく、親鸞会の会員さんが親鸞会教義の誤りに気が付くきっかけをつくることを目的として書いていますので、疑問点があればコメントください。




  • 2013-04-27 00:44
  • いつもの元会員
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[C281] 親鸞聖人の言動

親鸞聖人が日野左衛門や弁円に近づかれたのはいいの?
近づくなと言われた当の本人が近づいているって・・・

私の解釈は親鸞聖人は他力の信心だからぶれる事ないから大丈夫だけど、そうでない自力の信心の人は信心がコロコロ変わるから近づくな、とお手紙で言われられたと理解しましたが。
  • 2013-04-27 05:09
  • 冨田 信
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[C282] 五逆謗法の者

五逆謗法の者とそうでない者がいるという前提がなければ、意味のないお言葉になってしまいます。

仏の眼から見ればというのが前提で全人類は五逆謗法の者。
全人類は五逆謗法の者と言う人がいても、心の底は全く自分の事と思っていないのが現状であると思います。
本願まことであったと知らされた人は十方衆生は私の事であった、五逆謗法は私の事であった、しかも本願からも唯除されていたとしらされるのです。

そうでない者とはいまだ我が身を知らされていない人だと思います
  • 2013-04-27 05:29
  • 冨田 信
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[C283]

富田さんが五逆謗法の者と思うのは勝手です。しかし、それは親鸞聖人の教えに合っているかどうかは別です。

>本願まことであったと知らされた人は十方衆生は私の事であった、五逆謗法は私の事であった、しかも本願からも唯除されていたとしらされるのです。


こう知らされなかった法然上人、聖覚法印、親鸞聖人は異安心というのが、富田さんの見解ですね。

管理人さんの言われていることは根拠の有る話、
富田さんの言われていることは根拠のない話
  • 2013-04-27 06:36
  • 脱会者
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[C284]

一応言っておきますと、日野左衛門がどんな人物か話をしてみて分かることですよ。

弁円は、向こうから会いに来たのであって、親鸞聖人が出向いて行かれたのではないです。

それと、例のブログで、信巻に記された五逆謗法の定義は分かりましたか?

高森会長、弘宣局長らでさえ反論できないことを、富田さんなら反論できるのですか?
  • 2013-04-27 06:46
  • 脱会者
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[C309] コメントを頂いた皆様

冨田様

新たな記事
http://shinrankaikansatu.blog133.fc2.com/blog-entry-114.html
を書きましたので、今後のコメントはそちらにお願いします。

また、私の代わりにコメントに答えて下された脱会者様有難うございました。
  • 2013-04-28 00:47
  • いつもの元会員
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[C310] 根拠は十八願

唯信抄は聖覚法印が書かれたもの

唯信抄文意は親鸞聖人がかかれたもの
唯信抄に引用されている経釈の要文を取り上げ、注釈を加えたもの

唯信抄文意を紐解き知らされたのは、唯信抄に「われら罪業おもしといふとも五逆をばつくらず」というお言葉には触れられていませんでした。

要文の意味は重要なお言葉と理解しました。
その重要なお言葉に「五逆をばつくらず」ということは入っていないと認識しました。

あくまで私が申し上げたかったのは、何度もいいますが、十八願が根拠と言う事です。
十八願の中に、五逆正法誹謗とあるではないですか。

  • 2013-05-04 10:09
  • 冨田 信
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[C316]

唯信鈔は、親鸞聖人が直筆で書き写されて、同行に読むように勧められた書です。

つまり、「五逆をばつくらず」と親鸞聖人が自らの手で書かれて、それを同行に読むように勧められたもの。

18願にある「五逆正法誹謗」がなぜ富田さんの根拠になるのですか?

  • 2013-05-04 20:13
  • 脱会者
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[C322] Re: 根拠は十八願

冨田信様

コメントへの返信を以下の記事に書きました。
http://shinrankaikansatu.blog133.fc2.com/blog-entry-178.html
  • 2013-05-04 22:19
  • いつもの元会員
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[C324]

日野左衛門は親鸞聖人をくされ坊主と罵ったのでは?

弁円は親鸞聖人を殺しに来たのでは?
親鸞聖人は何故逃げなかったのかな?
殺しに来た弁円に、御同朋御同行と近づかれられたのは親鸞聖人ご自身では?
  • 2013-05-06 12:24
  • 冨田 信
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[C325]

それで何が言いたいのですか?

休まれるところがなかったので、日野左衛門の家の門で休まれたのですが、それが何か?

弁円の件は御伝鈔にありますね。


聖人(親鸞)常陸国にして専修念仏の義をひろめたまふに、おほよそ疑謗の輩は少なく、信順の族はおほし。しかるに一人の僧[山臥と云々]ありて、ややもすれば仏法に怨をなしつつ、結句害心をさしはさみて、聖人をよりよりうかがひたてまつる。聖人板敷山といふ深山をつねに往反したまひけるに、かの山にして度々あひまつといへども、さらにその節をとげず。つらつらことの参差を案ずるに、すこぶる奇特のおもひあり。よつて聖人に謁せんとおもふこころつきて、禅室にゆきて尋ねまうすに、上人左右なく出であひたまひけり。すなはち尊顔にむかひたてまつるに、害心たちまちに消滅して、あまつさへ後悔の涙禁じがたし。ややしばらくありて、ありのままに日ごろの宿鬱を述すといへども、聖人またおどろける色なし。たちどころに弓箭をきり、刀杖をすて、頭巾をとり、柿の衣をあらためて、仏教に帰しつつ、つひに素懐をとげき。不思議なりしことなり。すなはち明法房これなり。上人(親鸞)これをつけたまひき。


最初に「疑謗の輩は少なく、信順の族はおほし」とありますが、これは謗法の者少なく、謗法でない者は多いということですが。弁円は謗法の者だったという前提で、親鸞聖人の教えを聞いていた多くの人は謗法の者でないということですが。



それで結局、十方衆生が五逆謗法の者という根拠は全くないことを認めたのですね。根拠はないが、そうに違いない、と苦し紛れの言い訳ですね。


結論は変わりません。

管理人さんは根拠のある話。
富田さんは、根拠のない話。

根拠を出さない限り、このまま。
  • 2013-05-06 13:02
  • 脱会者
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[C326] 近づくな

唯信抄を皆さんに読み勧められた親鸞聖人が、罵った日野、謗法の弁円に近づかれた。
親鸞聖人は近づいてもいいのかな?
と疑問に思ったので・・
  • 2013-05-06 14:56
  • 冨田 信
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[C327]

日野左衛門、弁円に、親鸞聖人から近付かれたのではないですが。

ちなみに、五逆謗法の者で近付くな、といわれた対象は、いくら諌めても五逆謗法をやめないような者のことですよね。

善鸞義絶状を見てもわかりますが、親鸞聖人は善鸞を何度も諌められてそれでも改めなかったので、善鸞のことを五逆謗法の者として近付くなと仰ってますね。

もう一つ言っておくと、以前にもコメントに書きましたが、謗法については信巻に詳しく書かれていますよ。
簡潔に紹介すると、曇鸞大師の浄土論註を引用されて


 問うていはく、たとひ一人は五逆罪を具して正法を誹謗せざれば、経に得生を許す。また一人ありてただ正法を誹謗して、五逆もろもろの罪なきもの往生を願ぜば、生を得るやいなやと。
 答へていはく、ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ。


とありますが、意味は、

五逆罪を造って謗法罪を造らない者は往生できるが、五逆罪を造らずに謗法罪を造っている者は往生できるのか、との質問に対しての答えが、
他の罪を造っていなくても謗法罪を造っている者は絶対に往生できない、と断言されています。


この後に善導大師の法事讃を引用されて


仏願力をもつて、五逆と十悪と罪滅し生ずることを得しむ。謗法・闡提、回心すればみな往く


とあります。意味は ,
五逆と十悪の者は、その罪を滅して往生できるが、謗法・闡提の者は回心して往生する、つまり、謗法・闡提の者は、回心しなければ往生できない、謗法・闡提の者は謗法・闡提でなくならなければ往生できない、ということですね。


曇鸞大師・善導大師、そしてこれらの御文を引用された親鸞聖人は、謗法の者と謗法でない者がいて、謗法の者は謗法のままでは往生できないと教えられているのですよ。

もし全人類が謗法の者であり続けるなら、絶対に往生できないということです。


日野左衛門も弁円も、謗法の者から謗法でない者になって親鸞聖人のお弟子になったのですね。
しかし、謗法の者が頑なに謗法罪を造り続けているような場合には、決して近付いてはならない、こういうことですよ。
  • 2013-05-06 15:24
  • 脱会者
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[C328] 脱会者さん有難うございまさす。

回心をどう理解されてるか非常によくわかりました。
  • 2013-05-07 08:11
  • 冨田 信
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[C329]

反論は、それくらいだろうと思っていました。

善導大師が回心と仰るのは、心を翻す、つまり心を改めるの意で、覚如上人が仰った回心は、獲信の意で違いますからね。


いつまでも惨めな言い訳をするのはやめた方がよろしいかと思います。


なお浄土論註の


ただ正法を誹謗せしめて、さらに余の罪なしといへども、かならず生ずることを得じ


から、謗法の者である会長と冨田さんは絶対に往生できないそうです。謗法ではない十悪五逆の者は往生できますが。
  • 2013-05-07 08:28
  • 脱会者
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名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
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