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「仏教の真髄である浄土真宗・親鸞聖人のみ教えに、善の勧めがないはずがない」という親鸞会の詭弁

仏教の山全体が善のすすめなのだから、その仏教の真髄を教えられた親鸞聖人の教えに善の勧めがないはずがない」という親鸞会の主張に、納得してしまう会員さんがいるようです。

参考までに、上記の主張が書かれているサイトを2つほど例示しておきます。

(1)仏教の根本教理は、因果の道理。善因善果、悪因悪果、自因自果の三世十方を貫く真理から導き出される結論は、廃悪修善の教えである。その仏教の真髄である浄土真宗・親鸞聖人のみ教えに、善の勧めがないはずがない。
「善を勧めぬ浄土真宗」の凋落と親鸞会より)


(2)熊「これだ。そういう聞き損ないが困るんだよ。善い種まけば善い結果。悪い種まけば悪い結果、それは仏教の根幹、因果の鉄則だ。親鸞さまの教えに、善が勧められていないとすりゃあ外道の教えになっちまう。それでもいいのか、このおたんこなす!」
与太郎「そりゃよくないよ。じゃあ善の勧めはあるのかい」
熊「あるのかいだとォ?あるに決まってるじゃねえか、親鸞さまの教えってのは仏教の真髄だい」
演目「善の勧め」より)


このような親鸞会の主張に納得してしまうのは、そもそも仏教の目的がずれてしまっていることが原因です。

そもそも仏教の目的は「生死を離れて、さとりを開くこと」です。

その生死出離の道に、様々な教えがあるわけで、その中には、善を修めて、この世でさとりを開くことを説く聖道門の教えもあれば、浄土の往生して浄土でさとりを開くことを説く浄土門の教えもあります。その浄土門の教えの中にも、諸善(雑行)による往生を説く教えもあれば、念仏による往生を説く教えもあります。

では、親鸞聖人が教え勧めていかれた、生死を離れる道はどのような道であったのでしょうか?
端的に示されているのは、『行文類』に引かれている『選択本願念仏集』のお言葉です。

それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて、選んで浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲はば、正・雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛ちて、選んで正行に帰すべし。正行を修せんと欲はば、正・助二業のなかに、なほ助業を傍らにして、選んで正定をもつぱらにすべし。正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。称名はかならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑに。

速やかに生死を離れようと思うのならば、聖道門をさしおき、雑行をなげうち、助業をかたわらにして、専ら正定業である念仏を称えよというお勧めです。そして、称名念仏するものは必ず往生を得る、阿弥陀仏の本願によるからだと仰せです。

親鸞聖人は、速やかに生死を離れようと思うならば、善を修めることによって今生でさとりを開くことを説く聖道門の教えも、諸善(雑行)によって往生を得ることを説く浄土門の仮の教えも捨てよとしか仰っていません。つまり、仏教の山全体を見られて、善のすすめを説いている法門は勧めておられず、称名念仏によって往生を得る法門のみを勧められているのです。

ちなみに、上で紹介した演目「善の勧め」の中には、

熊「しつこいね、お前って人は。それとも何か?ご法談のあと、こっそり、『善の勧め、ありゃあ遠回りだよ』とか何とか言って人を引っ張ってく奴ってのはお前かい?」
与太郎「人聞きが悪いや。何だよそれ、遠回りって」
熊「『獲信にはコツがある。近道がある』って言う奴がいるらしい。お聖教に書かれた以上のコツや近道があってたまるかってんだ」
与太郎「で、そのコツ野郎が『善の勧めは要らねえ』って言うのかい?」
熊「ああ。お釈迦さまから七高僧、親鸞さまや蓮如さまに一貫した教えを無視して一体おめえ何様のつもりでえ」
与太郎「だからおいらじゃないって。勘違いしないでよ」
熊「何だとォ?このナス。そのポーッとした面はどう見たって怪しいや」
与太郎「顔は関係ないだろう。とにかく善を勧めないってのは大間違いなんだな」
熊「あたぼうよ。『善を勧めるのは遠回り』だあ?だいたい阿弥陀さまが、善を勧めていらっしゃるのに何言ってやんでえ。これ以上の近道があるもんか。このポンポコなす!」

とも書かれています。この部分も、ことごとく親鸞聖人の教えと正反対のことを教えています。

親鸞聖人は、『行文類』の中で、「しかるに教について念仏諸善比挍対論するに」と念仏と諸善を比較、対比されて教えられている中に、

頓漸対念仏は速やかに成仏し、諸善は長い時間を要する。
超渉対念仏は迷いの世界を飛び超えるが、諸善は歩いて渡るようなものである。
径迂対念仏はさとりに至る近道であり、諸善はまわり道である。
捷遅対念仏は早くさとりに至る道であり、諸善は遅い道である。
勧無勧対念仏は十方の諸仏が勧められる法であり、諸善には諸仏の勧めはない。
付嘱不嘱対念仏は釈迦・弥陀二尊の本意にかなった法であるから付属されたが、諸善は付属されなかった。
選不選対念仏は如来が選び取られた法であり、諸善は選び捨てられた法である。

と説かれています。

つまり、
阿弥陀仏は、念仏を選び取られ、諸善を選び捨てられた。
 釈尊は、念仏を付属し、諸善を付属されなかった。
 十方の諸仏は、念仏を勧められ、諸善を勧められなかった。
 そして、念仏は早くさとりに至る近道であり、諸善はまわり道である。

と教えられたのが親鸞聖人です。

「善のすすめ」といって、親鸞聖人の教えにことごとく違背することばかりを教えているのが親鸞会であることを知っていただきたいと思います。そして、親鸞聖人が仏教全体をどのように見られて、どのような生死出離の道を教えられているのかを知って、親鸞会のトリックにだまされないことを願います。
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