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コメントありがとうございます、
仰るとおり、親鸞会に入り、その指導に従うと念仏誹謗になってしまうのは、とてもおそろしいことです。
会員さんは、速やかに親鸞会、高森会長から離れるべきです。
  • 2015-04-24 23:30
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高森顕徹会長は「大悲を行ずる人」といえるのか?

頻繁なことではありませんが、機関紙等で、高森会長を「常行大悲の益」に生かされている人と讃える記事が掲載されることがあります。例えば、過去、『顕真』で連載されていた「親鸞会黎明期の証言」という記事の中で何回か見たことがありました。現在ネット上には、その一部が掲載されていますが、引用しますと、
高森顕徹先生はいつも、「常行大悲の益」に生かされておられるために、どんな非難をも乗り越えてのご教導でありました。
浄土真宗親鸞会黎明期の証言より引用)
と書かれています。

これは、親鸞聖人が、『信文類』において、「金剛の真心を獲得すれば、横に五趣八難の道を超え、かならず現生に十種の益を獲」と説かれ、その九番目に「常行大悲の益」を挙げておられることに基づいてのことでしょう。

「常行大悲」とは、「常に大悲を行ずる」ということです。親鸞会黎明期はどうであったか分かりませんが、現在の高森会長は、果たして「大悲を行ずる人」といえるのでしょうか?

大悲を行ずる人」について、『信文類』では、道綽禅師の『安楽集』を引いて教えられています。
『大悲経』にのたまはく、〈いかんが名づけて大悲とする。もしもつぱら念仏相続して断えざれば、その命終に随ひてさだめて安楽に生ぜん。もしよく展転してあひ勧めて念仏を行ぜしむるは、これらをことごとく大悲を行ずる人と名づく〉と。
(現代語訳)
『大悲経』には<どのようなことを大いなる慈悲というのであろうか。もし、もっぱら念仏してやむことがなかったなら、その人は、命を終えると間違いなく浄土に往生するであろう。この念仏を次々に人々に勧めて行じさせるなら、このような人をすべて大いなる慈悲を行じる人というのである>と説かれている。
このお言葉から明らかなように、人に念仏を勧めて行じさせる人が、「大悲を行ずる人」です。

親鸞聖人が『教行証文類』を著されたのも、総序に、
穢を捨て浄を欣ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、悪重く障多きもの、ことに如来(釈尊)の発遣を仰ぎ、かならず最勝の直道に帰して、もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。
と教えられているように、本願力回向の行(念仏)と信(信心)を勧められるためでした。

七高僧が教え勧めていかれたことも、
ここをもつて四依弘経の大士、三朝浄土の宗師、真宗念仏を開きて、濁世の邪偽を導く。 (化身土文類
(現代語訳)
このようなわけで、すべての衆生のよりどころとなる浄土の教えを広めてくださったインド・中国・日本の七人の祖師方は、他力念仏を説き示し、五濁の世のよこしまな心を持つ人々を導かれるのである。
と、親鸞聖人が明らかにされているように、他力念仏の教えでした。

七高僧、親鸞聖人は、まさに「大悲を行じられた方々」でありました。

ところが、現在の高森会長が教え勧めているのは、言葉の上では「信心決定」「信心獲得」ですが、実態は、獲信に至るまでの道程、すなわち親鸞会流「三願転入の教え」を説き、十九願の行と信を勧めています。つまり、行は念仏ではなく、諸善(特に、布施とは名ばかりの親鸞会への献金と、勧誘)を勧め、信は他力の信心ではなく、自力の信心を勧めていることになります。

また、高森会長の御心を会員に徹底する講師部員が、各地の会合で勧めているのは、何でしょうか?
言うまでもなく、御報謝、行事へのお誘いです。会合の中で、念仏を勧める講師部員は、皆無といってもよいのではないでしょうか?

念仏を勧めず、十九願を強調する会長の姿勢が、講師部を通じて、末端の会員にまで徹底されるのが親鸞会です。だから、末端の会員に至るまで親鸞会の人々は、念仏を非常に軽視しています。

つまり、人に「展転してあひ勧めて念仏を行ぜしむる」には、程遠いのが高森会長、親鸞会であることがよく分かります。ですから、高森会長のことを、「大悲を行ずる人」とはとてもいえません。

ところで、『なぜ生きる2』にも、「常行大悲の益」について書かれている箇所があります。3章の93-98頁です。その中で、
聖人は、伝える大悲について、こう教誡されている。(95頁)
と書き、大悲の内容を、
他力の信をえんひとは 仏恩報ぜんためにとて
如来二種の回向を 十方にひとしくひろむべし (正像末和讃

のお言葉から、「如来二種の回向」であると書いています。

大悲を伝えるとは、「如来二種の回向」を伝えることだということについては、特に問題はありませんが、その親鸞聖人のお言葉に違背しているのが『なぜ生きる2』という本です。

「如来二種の回向」とは、往相の回向と還相の回向の二種のことですが、阿弥陀仏の願の上でいえば、親鸞聖人は、往相の回向については、十七願、十八願、十一願を、還相の回向については、二十二願を挙げて教えられています。例えば、『如来二種回向文』には、
(前略)この本願力の回向をもつて、如来の回向に二種あり。一つには往相の回向、二つには還相の回向なり。
往相の回向につきて、真実の行業あり、真実の信心あり、真実の証果あり。
真実の行業といふは、諸仏称名の悲願(第十七願)にあらはれたり。(中略)
真実信心といふは、念仏往生の悲願(第十八願)にあらはれたり。(中略)
真実証果といふは、必至滅度の悲願(第十一願)にあらはれたり。(中略)
これらの本誓悲願を、選択本願と申すなり。

二つに、還相回向といふは、『浄土論』にいはく、「以本願力回向故是名出第五門」と。これはこれ還相の回向なり。
このこころは、一生補処の大願(第二十二願)にあらはれたり。(後略)

と書かれています。

しかし 、『なぜ生きる2』のテーマは三願転入であり、書かれているのは、十八願、十九願、二十願であり、中でも中心は十九願です。親鸞聖人の「如来二種の回向を十方にひとしくひろむべし」のお言葉に反しているのが『なぜ生きる2』であることが分かります。

このように書くと、「親鸞聖人は、十九願について教えられているではないか、三願転入を説いているではないか」と、気がきいているようで、間の抜けた反問をする人もあるかもしれません。しかし、親鸞聖人が十九願について書かれたのは、それを勧めるためではなく、その行者を誡めるためです。同様に、三願転入を書かれたのも、「三願転入せよ」と勧めるためではなく、十九願、二十願を廃捨し、十八願に帰すことを勧めるためです。要するに、十九願、三願転入について教えられているといっても、勧められたのは、真宗念仏であり、如来二種の回向によって救われることです。十九願の善を勧め、三願転入を勧める『なぜ生きる2』とは正反対なのが、親鸞聖人なのです。

現在の高森会長の説いていることが凝縮されているのが、この『なぜ生きる2』です。現在の高森会長が「大悲を行ずる人」であるとは決して認めることはできません。
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コメントありがとうございます、
仰るとおり、親鸞会に入り、その指導に従うと念仏誹謗になってしまうのは、とてもおそろしいことです。
会員さんは、速やかに親鸞会、高森会長から離れるべきです。
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名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
(蓮如上人)

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