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【再掲】『親鸞聖人の教えに人生の目的が説かれているか?ー本願寺 いない』と歪曲する親鸞会

昨日の記事では、親鸞会講師部員が開催している講座について取り上げました。

親鸞会の会員さんや親鸞会関係の行事に参加している未会員さんの中には、仏教については、親鸞会関係の本しか読んだことがないという人もいると思います。そこで、親鸞会の教えしか知らない人でも、読んでもあまり違和感のない仏教書を一つ紹介したいと思います。約4年前の記事でも取り上げましたが、本願寺出版から出ている小池秀章著『高校生からの仏教入門』です。

親鸞会講師部員が開催している講座に参加している人や現役親鸞会会員の方に、『なぜ生きる』や親鸞会発行の書籍以外の仏教書を読むきっかけにしてもらいたいと思い、以下に過去の記事の再掲します。この記事を通して、「人生の目的、なぜ生きるを教えられたのが親鸞聖人」と説く人は、親鸞会以外にもいることを知って頂きたいと思います。

(以下、2011年5月3日の記事の再掲)

親鸞会批判の真実の中に掲載されている親鸞会と本願寺10の相違点の1番に、

親鸞聖人の教えに人生の目的が説かれているか?
本願寺 いない
親鸞会 いる


とあります。果たして、これは本当でしょうか?
本願寺出版から出ている小池秀章著『高校生からの仏教入門』を見てみましょう。


生死出づべき道 私の「生きる意味と方向」をはっきり示された方が、親鸞聖人です。

何のために生まれて 何のために生きているのか

 何のために 生まれて 何をして 生きるのか
 答えられないなんて そんなのは いやだ! (作詞やなせたかし 作曲三木たかし)

 これは、「アンパンマンのマーチ」の一番の歌詞です。アンパンマンというのは、顔がアンパンのアニメのキャラクターで、小さな子ども達には大人気です。そんな子ども向けのアニメの主題歌の中で、こんな難しいことが歌われているのです。
 あなたは、「何のために生まれて、何をして生きるのか」答えられますか? これは、たいへん難しい問題で、そう簡単に答えられる問いではありません。
 ある人は、この問いに対して、「その答えを探すために生きるのです。」と言われました。確かにその通りでしょう。しかし、親鸞聖人は、この問いに一つの答えを出されました。
(106-107頁より引用)


上記のように、『私の「生きる意味と方向」をはっきり示された方が、親鸞聖人です』とハッキリ書かれています。これだけでも、親鸞会の主張する、

親鸞聖人の教えに人生の目的が説かれているか?

本願寺 いない


が事実と異なることが分かります。

では、「生きる意味と方向」について、この本ではどのように書かれているのでしょうか?
次にその部分を引用します。

生きる意味と方向
 浄土真宗の救いとは、金魚すくいみたいに、ひょいとすくってもらって、いい世界に連れて行ってもらうようなものではありません。また、病気を治してもらったり、さまざまな自己の願いが叶ったりすることでもありません。
 浄土真宗の救いとは、生きる意味と方向が定まることです。自己中心の心から離れられず、迷いの人生を生きている私に、智慧と慈悲の世界が与えられることによって、人生のあらゆることに尊い意味を見いだすことができるのです。そして、浄土という真実の世界に向かって生きることが、本当の人間としての生きる道であると、生きる方向が定まるのです。
 このように、私中心の生き方から仏中心の生き方へと転換され、念仏という生きる依りどころが定まった時、どんな苦難をも乗り超える智慧と力が与えられるのです。

往生浄土
 ただし、浄土真宗の究極的な救いは、この世のいのちが終わると同時に、浄土に往生し成仏する(さとりを開く)ことです。「往生」とは、「困ること、行き詰まること」ではなく、文字通り、「往き生まれる」ことです。「浄土」とは、「煩悩の汚れの無い清らかな世界・さとりの世界」のことです。つまり、「往生浄土」とは「浄土に往き生まれる」ことで、それは行き詰まることではなく、さとりという新しい世界が開けてくることなのです。

現生正定聚
 しかし、このことは、決して未来の救いのみを説いているのではなく、信心をいただいた時に、往生成仏が定まり救われるのです。それを「現生正定聚」という言葉で表わしています。「現生」とは、この世、「正定聚」とは、正しく仏になることが定まったなかまという意味です。
 つまり、信心をいただいた時、念仏という生きる依りどころが定まり、浄土という真実の世界に導かれながら、浄土という真実の世界に向かって生きるという生き方が与えられるのです。それを救いと言うのです。
(194-195頁より引用)


いかがでしょうか?

親鸞会在籍時、「本願寺は死んだら極楽、死んだら仏と死後の救いばかりを説いていて、現在の救いを説かない」と聞いたことがあります。実際に、親鸞会と本願寺10の相違点の5番目、6番目に

助かるのはいつか
本願寺 死なねば助からぬ
親鸞会 生きている時に助かる

救われたらどうなるのか
本願寺 この世で救われたということは、ありえない
親鸞会 絶対の幸福になる


とあります。ところが、上の引用部分では、「決して未来の救いのみを説いているのではなく、信心をいただいた時に、往生成仏が定まり救われる」と「現生正定聚」について書かれています。つまり、親鸞会のこれらの主張も、本願寺の主張を歪曲したものであることが分かります。

10の相違点の7番目も酷い歪曲です。

本願寺 念仏さえ称えておればいい
親鸞会 真実の信心ただ一つで助かる


上の引用部分に「信心をいただいた時に、往生成仏が定まり救われる」とありました。『高校生からの仏教入門』では、別の部分でも「信心正因称名報恩」について教えられています。

本願寺には、親鸞会とは比べ物にならないくらい多くの布教使が在籍しています。その中には親鸞会が「本願寺は●●だ」と言っているようなことを説く人もあるのかもしれませんが、親鸞聖人が教えられたことを正しく説く人もいることは、本を手に取って読んでみたり、法話を聞いてみたりすれば分かることです。それらをひとまとめにして、「本願寺は●●」とレッテルを貼っているのは、正しく教えを説く人がいることを会員さんに知らせないための手段だと感じます。他で教えを聞くことは許さないという縄張り根性の表れでしょう。

自分自身のことを振り返ってみると、親鸞会から一方的に「本願寺は●●」というプロパガンダを聞かされて、「本願寺とは何てひどいことを教えているところなのだろう」と思い込まされていました。しかし、事実は違いました。自分で書店に行き、本願寺出版の書籍や本願寺派に属する布教使の書いた本を読んでみると、親鸞聖人の教えをそのまま伝えていることが分かりました。一方、親鸞会は、親鸞聖人が書かれたものを断章し、自分に都合良く解釈しているということもよく分かりました。この親鸞会教義の誤りについては、当ブログはじめ、多くのブログが指摘していることです


さて、話を「人生の目的」というところに戻しましょう。親鸞会は、親鸞聖人の明らかにされた人生の目的を説いていると主張していますが、親鸞会の人生の目的の説き方はおかしいです。「ここが信仰の決勝点、ここが卒業、完成」と、未来に向かって、これから一生涯かけて求めなければならないものとして教えます。これが、親鸞聖人の教えの一枚看板と自分たちがいっている「平生業成」に、実は真っ向から反しているのです。「平生」とは「いま」のことと言っていながら、「ここまで進め」では、達成するのはどうしても未来です。

「我をたのめ(南無)必ず助ける(阿弥陀仏)」とつねに喚び続けている名号をそのまま疑いなく聞き受けることが信心です。そのとき、往生成仏が定まります。私が求めるよりも先に与えられている名号願力という大前提のもとに「平生業成」が成り立つのです。

「人生の目的」という言葉を使うならば、これから未来に向かって使うのではなく、生まれたときから現在只今までのことなのです。
「多生の目的」という言葉も同様です。これから未来に向かって、多生かかって求めていくという意味に使うのではありません。生死を繰り返してきた果てしない過去から今日までのことです。

南無阿弥陀仏をそのまま聞き受けたとき、生きる目的も知らず死に行く先も知らなかった人生が、浄土に向かって生きる人生であると生きる方角が定まるのです。南無阿弥陀仏を聞くのは、未来のことでもなく、過去のことでもなく、現在只今のことです。「生きる意味と方向」が定まるのは、現在只今であって、未来に向かってその達成を求めるのではないのです。つねに喚びかけ続けられている本願の仰せを、「いま」、聞くか聞かないかだけです。

親鸞会は人生の目的を説いていると言っていても、そこで説かれている目的を達成することは不可能でしょう。信心獲得が人生の目的といいながら、信心の理解がまるで間違っているというのが理由の一つ。他力回向の親鸞聖人の教えが、自力の教えになってしまっているのが理由の二つ目。私の側のことばかりが説かれ、助けて下さる阿弥陀仏のことが完全に抜けてしまっている話を聞かされているということが理由の三点目です。

親鸞会の会員さんが勧められていることは、いつまでたっても決勝点に辿り着くことのない活動だけであるということに気が付いてもらいたいです。死ぬまで求道の「光に向かって進む教え」が親鸞会教義なのです。いつまでたっても光に辿り着くことはありません。

平生業成の教えが説かれているか?
本願寺(全ての布教使がどうかは分からないが) いる
親鸞会 いない

というのが実態ではないでしょうか?(親鸞会でも言葉だけなら説かれていますが、「実態は」ということです)

今日紹介した『高校生からの仏教入門』は、当ブログでこれまで引用してきた本に比べて、親鸞会の会員さんにも読みやすい本だと感じますので、関心をもたれた方は読んでみるのがよいと思います。

※なお、今回、この記事を再掲載したのは、掲載から4年程経過した今でも、同記事の拍手ボタンを何度も押して下された方がいたというのも一つの理由です。拍手ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。
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名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
(蓮如上人)

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