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『なぜ生きる2』を読む(10)-十九願、二十願は回り道と教えられたのが親鸞聖人

日が開いてしまいましたが、『なぜ生きる2』を読む(9)の続きです。

『なぜ生きる2』を読む(4)で、『化身土文類』に引かれている『大経』の胎化得失の文を取り上げ、「(3)十九願、二十願の者も、化土にて、仏智疑惑の罪を知り、その罪を改め仏智不思議を信ずれば、報土往生を遂げること」という点を説明し、『なぜ生きる2』の誤りを指摘すると書きました。今回は、それについてです。

『大経』の胎化得失の文では、
仏、弥勒に告げたまはく、〈たとへば転輪聖王のごとし。七宝の牢獄あり。種々に荘厳し床帳を張設し、もろもろの繒幡を懸けたらん。もしもろもろの小王子、罪を王に得たらん、すなはちかの獄のうちに内れて、繋ぐに金鎖をもつてせん〉と。{乃至}仏、弥勒に告げたまはく、〈このもろもろの衆生、またまたかくのごとし。仏智を疑惑するをもつてのゆゑに、かの胎宮に生れん。{乃至}もしこの衆生、その本の罪を識りて、深くみづから悔責して、かの処を離るることを求めん。{乃至}弥勒まさに知るべし、それ菩薩ありて疑惑を生ぜば、大利を失すとす〉」と。
(現代語訳)
釈尊が弥勒菩薩に仰せになった。<たとえば転輪聖王が七宝でできた牢獄を持っているとしよう。そこにはさまざまな装飾が施されており、立派な座が設けられ、美しい幕が張られ、さまざまな旗がかけられている。その国の王子たちが罪を犯して父の王から罰せられると、その牢獄の中に入れられて黄金の鎖でつながれる>(中略)釈尊が弥勒菩薩に仰せになる。<胎生のものもまたその通りである。仏の智慧を疑ったためにその宮殿に生れるのである。(中略)これらのものは、仏の智慧を疑った罪を知り、深く自分のあやまちを悔い、その宮殿を出たいと願う。(中略)弥勒よ、よく知るがよい。仏の智慧を疑うものはこれほどに大きな利益を失うのである>
と教えられていました。

ここで、化土に往生した者は、七宝の牢獄に閉じ込められたような状態であり、大利を失う者であるあると、釈尊は説かれています。そして、そのような者は、仏智を疑った罪を知り、深く自分のあやまちを悔い、化土を離れることを求めるのならば、真実報土へ化生することができるのです。

このように、化土とは、自力諸善、自力念仏に執着する十九願、二十願の行者に、仏智疑惑の罪を知らせ、真実報土へと導くための阿弥陀仏の随他意の方便でした。ですから、化土のことを、方便化身の浄土などと言われます。この方便は、相手の機に応じて用いられる方便ですから、「権仮方便」です。『なぜ生きる2』を読む(8)で触れた、安楽仏国(真の報土)を「無上の方便」と言われたときの方便(善巧方便・随自意の法門)とは、意味が異なりますので注意してください。

つまり、十九願、二十願の行者は、化土を経なければ、報土に往生することはできません。
一方、十八願の行者は、『信文類』に「念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。」と教えられているように、この世の命が終わると報土に往生し、仏覚を成就します。

すなわち、仏のさとりを開くのは、十九願(二十願)の行者よりも、十八願の行者の方が速く、十九願(二十願)は回り道ということになります。このことについては、親鸞聖人はいろいろなところで教えられています。

しかるに教について念仏諸善比挍対論するに、(中略)径迂対捷遅対。(行文類
(現代語訳)
しかるに教法について、念仏と諸善とを比較し、相対して論じると、次のようになります。 (中略)
念仏はさとりに至る近道であり、諸善はまわり道である。 念仏は早くさとりに至る道であり、諸善は遅い道である。


横超とはすなはち願成就一実円満の真教、真宗これなり。また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。大願清浄の報土には品位階次をいはず。一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す。ゆゑに横超といふなり。 (信文類
(現代語訳)
横超というのは、本願が成就して、すべての衆生が平等にさとりを開く唯一の真実円満の教え、すなわち真宗である。また、浄土門の中に横出がある。それは三輩・九品の機が定善・散善を修め、方便化土である懈慢界に往生する遠まわりの善の教えである。本願によって成就された清らかな報土は、三輩・九品の別を問わない。往生すると同時に、速やかにこの上ないさとりを開くから横超というのである。

安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修あるなり。
正とは五種の正行なり。助とは名号を除きて以外の五種これなり。雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。これすなはち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。
横超とは、本願を憶念して自力の心を離る、これを横超他力と名づくるなり。これすなはち専のなかの専、頓のなかの頓、真のなかの真、乗のなかの一乗なり。これすなはち真宗なり。すでに真実行のなかに顕しをはんぬ。 (化身土文類

(現代語訳)
浄土に往生してさとりを開くのを浄土門といい、易行道という。この浄土門の中に、横出と横超、方便と真実、漸教と頓教、そして助正と雑行、雑修と専修がある。
正とは、読誦・観察・礼拝・称名・讃嘆供養の五正行である。助とは、称名以外の読誦・観察・礼拝・讃嘆・供養の五種である。雑行とは、正・助の行以外をすべて雑行というのである。これは、浄土門の中の自力である横出の教えで、長い時を費やす漸教であって、定善・散善や世福・戒福・行福の善を修め、三輩・九品のそれぞれの資質に応じて行を修める自力方便の教えである。
横超とは、阿弥陀仏の本願を信じて自力の心を離れることであり、これを横超他力という。これは、専修の中の専修であり、頓教の中の頓教であり、真実の中の真実であり、一乗の中の真の一乗である。これが真宗である。このことは、「行文類」においてすでに明らかにした。


このように、諸善の法(十九願)、横出(十九願、二十願)は、回り道と一貫して教えられています。

さらに、親鸞聖人は、二河白道の譬えで説かれている弥陀の招喚(十八願意)の「汝一心正念にして直ちに来れ、我能く護らん」の「直ちに」について、『愚禿鈔』で、
「直」の言は、回に対し迂に対するなり。また「直」の言は、方便仮門を捨てて如来大願の他力に帰するなり、諸仏出世の直説を顕さしめんと欲してなり。
と示されています。
「直」という言葉は、「回」、「迂」に対しているということは、迂回の善、漸教である横出(十九願、二十願)に対しているということです。
さらに、「直」という言葉は、横出のような方便仮門を捨てよ、如来の大願他力(十八願)に帰せよと言われた言葉であるとも教えられています。すなわち、本願(十八願)を説くとは、このような回り道である十九願、二十願を捨てよと教えることに他なりません。換言すれば、本願(十八願)を説き勧めるということは、十九願などの方便仮門は捨てよと勧めることになるのです。

さて、『なぜ生きる2』11章225頁には、
三願転入の道程は、決して特別の人だけの道でもなければ、回り道でもない。
と書かれていますが、これが大間違いなことは、今回の記事で理解していただけると思います。十九願、二十願は回り道なのですから、十九願→二十願→十八願という道程を説くことは、明らかに回り道なのです。

同様に、親鸞会発行の『顕正新聞』に、
熊「あたぼうよ。『善を勧めるのは遠回り』だあ?だいたい阿弥陀さまが、善を勧めていらっしゃるのに何言ってやんでえ。これ以上の近道があるもんか。このポンポコなす!」
演目「善の勧め」より引用)
と書かれていたこともありました。親鸞会では、「善を勧めるのは遠回り」、言い換えれば「十九願は遠回り」と説くことを批判しているのです。この点でも、「浄土真宗」、「親鸞会」と名乗りながら、親鸞聖人と真逆のことを教え、さらには宗祖親鸞聖人を誹謗しているのです。

そういえば、親鸞会発行の『教学聖典(4)』には、
問(19)
「私の信心はこうだ」と言うのは悪い、と言う人を破邪するには、どう言えばよいか。
答(19)
◎親鸞聖人が悪くなる。
○弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり。
○親鸞が信心におきてはかくの如し。(歎異鈔)

という問答がありました。それを真似して書くならば、

「十九願を回り道」と言うのは悪い、と言う人を破邪するには、どう言えばよいか。

◎親鸞聖人が悪くなる。
○径迂対、捷遅対。(教行信証行巻)
○また横出あり、すなはち三輩・九品、定散の教、化土・懈慢、迂回の善なり。(教行信証信巻)

となります。

親鸞聖人は、回り道である十九願を捨てよと一貫して教えられました。そして、速やかにさとりを開く道である十八願一つを教え進められたのでした。皆様には、親鸞聖人の御心に反して、回り道を進めているのが、『なぜ生きる2』の著者である高森会長であるということをよくよく知って頂きたいと思います。
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Author:いつもの元会員
名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
(蓮如上人)

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