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「信仰」という言葉がもつ効果

少善根福徳の因縁をもつてかの国に生ずることを得べからず。(阿弥陀経)

この虚仮雑毒の善をもつて無量光明土に生ぜんと欲する、これかならず不可なり。(教行信証信巻)

なかんづくに一代蔵を披きて経・律・論・釈の簡要を擢んでて、六巻の鈔を記して『教行信証之文類』と号す。かの書にのぶるところの義理、甚深なり。いはゆる凡夫有漏の諸善、願力成就の報土に入らざることを決し、如来利他の真心、安養勝妙の楽邦に生ぜしむることを呈す。ことに仏智信疑の得失を明かし、盛んに浄土報化の往生を判ず。(嘆徳文)



諸善を修しても報土往生はできないと教えられています。
我々の修する善と獲信は無関係ということです。

もし我々の修する善と獲信との間に何らかの関係を認めるならば、諸善と報土往生の間に何らかの関係があると認めることになり、善知識方のお言葉に反します。



(1)「善をしなければ信仰は進みませんよ」
(2)「では、信仰が進めば、救われるのですか?」
(3)「進めば分かります」


(1)「善をしなければ信仰は進みませんよ」
(2)「では、信仰が進めば、救われるのですか?」
(3)「それは、凡夫の計ろうべきことではない。」



「善をしなければ救われませんよ」ならば、誰でも浄土真宗の教えでないことに気が付きます。

「善をしなければ信仰は進みませんよ」と説き(1)、救われることに関係あるかないかを説かなければ(3)、もったいぶった話を聞かされている者は何か深いものがある、何らかの関係があるなどと勝手に思い込みます。また、非難を受けたときは、「善をしたら助かるなどとは、どこにも説いていない」と突っぱねることもできます。


宗教一般ではよくみられる「信仰」という言葉を用いたトリックです。
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コメント

[C24]

まるで「消防署のほうから来ました」と言って消火器を売るようなやり方ですね。

詐欺だ!!と突っ込まれたら「消防署のほうから来たとは言ったが、消防署から来たとは言ってない!!だから詐欺じゃない!!」と言い訳するのが、いつものS会のやり方ですね。
単純かつ幼稚な言葉のトリックですが、「一切衆生必堕無間」だの、「会長センセイは蓮如上人以来の数百年に一度の善知識」だの「S会以外(具体的にいうと本願寺派)に正しい教えはない」と繰り返し叩き込まれて、すっかりMCされておりましたので、こんな事にすらなかなか気付けませんでした。
  • 2010-06-17 00:02
  • Rudel
  • URL
  • 編集

[C25]

家のじいさんが言ってましたね。

信仰は仰いで信じるんじゃが、真宗では仰信ちゅうてなあ、如来様の信を仰ぐんじゃ。
ちゅうてましたね。

でも、謗法と法謗とか無上仏と無常仏の区別の出来ない親鸞会の高森顕徹氏には、理解不能だろうな(笑
  • 2010-06-17 00:39
  • 林遊@なんまんだぶ
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  • 編集

[C26]

Rudel様

「会長センセイに間違いない」に、私も10年以上染まっていました。中にいるとなかなか気が付けないものです。


林遊@なんまんだぶ様

「如来様の信を仰ぐ」ということで思い出すのは、まだ会員だったころ、林遊さんのブログで「信は仏辺に仰ぐ」という言葉を読んで、理解不能だったことですね。ヘンテコ話ばかりきいていたので、軌道修正するのに、随分時間がかかりました。
  • 2010-06-18 22:25
  • いつもの元会員
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名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
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