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どこにいようと聞法道場

降誕会ーこんな説法は「浄土真宗の破壊」ですで取り上げた「二千畳は無上甚深の功徳の宝を取引をするところ」には、前回触れた「取引」という言葉以外にも問題があります。

それは、「二千畳は」という場所を限定した、救われるのに特別な場所があるかのような表現です。


親鸞聖人は、晩年、「帰命尽十方無碍光如来」という十字名号を重視されました。そのこころを『尊号真像銘文』には、次のように教えられています。


「帰命尽十方無碍光如来」と申すは、「帰命」は南無なり、また帰命と申すは如来の勅命にしたがふこころなり。「尽十方無碍光如来」と申すはすなはち阿弥陀如来なり、この如来は光明なり。「尽十方」といふは、「尽」はつくすといふ、ことごとくといふ、十方世界を尽してことごとくみちたまへるなり。「無碍」といふはさはることなしとなり、さはることなしと申すは、衆生の煩悩悪業にさへられざるなり。「光如来」と申すは阿弥陀仏なり、この如来はすなはち不可思議光仏と申す。この如来は智慧のかたちなり、十方微塵刹土にみちたまへるなりとしるべしとなり。


「尽十方」とは「十方世界を尽してことごとくみちたまへる」ことを表すと教えられており、最後には阿弥陀如来は「十方微塵刹土にみちたまへるなり」とも説かれています。

この「尽十方」のこころについて、『聖典セミナー 教行信証[教行の巻]』(梯實圓著 本願寺出版)183頁から引用します。

「尽十方」の十方とは、東西南北の四方と東北、東南、西南、西北の四隅(四維)、それに上下を合わせた呼称ですから、要するに、あらゆる空間を総括した言葉です。「尽」とは「つくす、ことごとく」ということですから、尽十方とは「十方世界を尽してことごとくみちたまへる」ことを表しています。すなわち、この天地間に阿弥陀仏のおられないところはなく、阿弥陀仏の救済活動の行き渡っていない場所はないということです。十方衆生を一人も漏れなく救うと誓願された阿弥陀仏であってみれば、一人ひとりのうえに阿弥陀仏の大悲の身心は行き渡っており、私がどこにいようと、そこが阿弥陀仏に遇わせていただく道場であるということです。


阿弥陀仏の救済活動は、南無阿弥陀仏(我をたのめ、必ず助ける)という本願の名号となって、十方世界に行き渡っています。決して「二千畳」だけが、聞法道場なのではありません。いつでもどこでも私のいる場所が、阿弥陀仏に遇わせていただく聞法道場なのです。
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名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
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