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本願一乗とは(4) 「一乗の機教」

本願一乗とは(1)「一乗海の釈」
本願一乗とは(2)
本願一乗とは(3)
の続きです。

『行文類』では、一乗海の釈が示された後、念仏と諸善とが比校対論されています。これは、弘願法(18願)を念仏で顕し、八万四千の法門を『観経』におさめ、要門法を諸善で顕された比較です。さらに、念仏の機と諸善の機についても比較されています。

しかるに教について念仏諸善比校対論するに、難易対、頓漸対、横竪対、超渉対、順逆対、大小対、多少対、勝劣対、親疎対、近遠対、深浅対、強弱対、重軽対、広狭対、純雑対、径迂対、捷遅対、通別対、不退退対、直弁因明対、名号定散対、理尽非理尽対、勧無勧対、無間間対、断不断対、相続不続対、無上有上対、上上下下対、思不思議対、因行果徳対、自説他説対、回不回向対、護不護対、証不証対、讃不讃対、付属不属対、了不了教対、機堪不堪対、選不選対、真仮対、仏滅不滅対、法滅利不利対、自力他力対、有願無願対、摂不摂対、入定聚不入対、報化対あり。
この義かくのごとし。しかるに本願一乗海を案ずるに、円融満足極速無碍絶対不二の教なり。

 また機について対論するに、信疑対、善悪対、正邪対、是非対、実虚対、真偽対、浄穢対、利鈍対、奢促対、豪賤対、明闇対あり。この義かくのごとし。しかるに一乗海の機を案ずるに、金剛の信心は絶対不二の機なり、知るべし。


(訳はこの記事の最後に引用しました)


このように、念仏が比較を超えた唯一絶対の教法であり、それを与えられた機(信心)も比較を絶した絶対不二の機であることが明らかにされています。本願一乗の法と機を明らかにされることで、本願一乗はそれ自体で完結した最高の成仏の道であることを教えられているのです。

ですから、親鸞聖人のお勧めは、本願一乗(18願)の行信以外にはありません。


そして、その行も信も、本願力の回向によるのです。
本願力回向の南無阿弥陀仏につかえているのが称名念仏(行)であり、本願力回向の南無阿弥陀仏が到り届いているのが信心(信)ですから、『教行証文類』総序では、

穢を捨て浄を欣ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、悪重く障多きもの、ことに如来(釈尊)の発遣を仰ぎ、かならず最勝の直道に帰して、もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。

と、如来を主体にされた説かれ方で「もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ」と、本願力回向の行信一つを勧めていかれたのでした。

私から差し出すものは何もありません。
私は如来回向の南無阿弥陀仏につかえるばかり、如来回向の南無阿弥陀仏を崇めるばかりです。
つまり、無上甚深の功徳利益が一方的に与えられるのです。




(現代語訳)『聖典セミナー 教行信証 [教行の巻]』(梯實圓著 本願寺出版)341-347頁より

しかるに教法について、念仏と諸善とを比較し、相対して論じると、次のようになります。
難易対、諸善は難行であり、念仏は易行である。
頓漸対、念仏は速やかに成仏し、諸善は長い時間を要する。
横竪対、念仏は他力によって横さまに迷いを超え、諸善は自力によって、竪さまに順を迫って迷いを離れていく。
超渉対、念仏は迷いの世界を飛び超えるが、諸善は歩いて渡るようなものである。
順逆対、念仏は本願に順じているが、諸善は本願に背いている。
大小対、念仏は大功徳であるが、諸善の功徳は小さい。
多少対、念仏は多善根であるが、諸善は少善根である。
勝劣対、念仏は最勝の行であり、諸善は劣行である。
親疎対、念仏は仏に親しく馴染み深いが、諸善は疎遠である。
近遠対、念仏は仏に近く、諸善は遠く離れている。
深浅村、念仏は深い法であり、諸善は浅薄である。
強弱対、念仏は強い本願に支えられているが、諸善を支える自力は弱い。
重軽対、念仏は重い願力に支えられているが、それのない諸善は軽い。
広狭対、念仏は一切を救うから広く、諸善は善人にかぎるから狭い。
純雑対、念仏は純粋な往生行であるが、諸善は三乗に通ずる行である。
径迂対、念仏はさとりに至る近道であり、諸善はまわり道である。
捷遅対、念仏は早くさとりに至る道であり、諸善は遅い道である。
通別対、諸善は聖道に通ずる通途の法であり、念仏は特別の法である。
不退退対、念仏は不退転の法であり、諸善は退転のある法である。
直弁因明対、念仏は仏の出世の本意としてただちに説かれた法であり、諸善は自力の機に止むを得ず説かれた法である。
名号定散対、念仏は釈尊が付属された名号であり、諸善は付属されなかった定散二善である。
理尽非理尽対、念仏は道理を尽くして説かれた完全な法であり、諸善は理を尽くさない不完全な説にすぎない。
勧無勧対、念仏は十方の諸仏が勧められる法であり、諸善には諸仏の勧めはない。
無間間対、念仏は他力に支えられているからその信心は途切れることがないが、諸善を修するものの信は途切れることがある。
断不断対、念仏は摂取されているから信心断絶しないが、諸善は断絶する。
相続不続対、念仏は法の徳によって臨終まで相続するが、諸善は相続しない。
無上有上対、念仏は無上の功徳を具しているが、諸善は有上功徳でしかない。
上上下下対、念仏は最も勝れた上上の法であるが、諸善は下下の法である。
思不思議対、念仏は不可思議の仏智の顕現であり、諸善は分別思議の法である。
因行果徳対、諸善は不完全な因人の行であるが、念仏は阿弥陀仏の果徳を与えられた完全な法である。
自説他説対、念仏は阿弥陀仏自身が説かれた行法であり、諸善はそうではない。
回不回向対、諸善は衆生が回向しなければ往生行にはならないが、念仏は如来回向の法であるから、衆生は回向する必要がない。
護不護対、念仏は如来に護念せられる法であるが、諸善には護念はない。
証不証対、念仏は諸仏が証明されているが、諸善には諸仏の証明がない。
讃不讃対、念仏は諸仏に讃嘆される法であるが、諸善は讃嘆されない。
付嘱不嘱対、念仏は釈迦・弥陀二尊の本意にかなった法であるから付属されたが、諸善は付属されなかった。
了不了教対、念仏は仏の本意が完全に説き示された法であるが、諸善はそうではなかった。
機堪不堪対、念仏はどのような愚劣の機にも堪えられるように成就された法であるが、諸善は劣機には堪えられない法である。
選不選対、念仏は如来が選び取られた法であり、諸善は選び捨てられた法である。
真仮対、念仏は真実の法であり、諸善はしばらく仮に用いられる方便の法である。
仏滅不滅対、諸善のものは往生しても入滅する応化仏を見るが、念仏往生のものは永久に入滅しない真仏を見る。
法滅利不利対、法減の時になっても念仏は滅びることなく衆生を利益し続けるが、諸善は滅びるから利益がない。しかし、これを法減不滅対と利不利対の二対に分ける説もある。
自力他力対、諸善は自力の法であり、念仏は他力の法である。
有願無願対、念仏は本願の行であり、諸善は本願の行ではない。
摂不摂対、念仏は摂取不捨の利益があり、諸善は摂取されない。
入定聚不入対、念仏は正定聚に入る法であるが、諸善は正定聚に入れない。
報化対、念仏は真実報土に往生する行であるが、諸善は化土にとどまる行である。
教法について念仏と諸善を比較すると、このような違いが明らかになってきます。ところで本願一乗海である念仏について考えてみると、あらゆる善根功徳が円かに融け合って、衆生の煩悩悪業にもさまたげられることなく、速やかに満足せしめていくという、比較を超えた唯一絶対の教法であることがわかります。

また機について、念仏の機と諸善の機とを比較し、対論すると、次のようになります。
信疑対、念仏者は本願を信じているが、諸善の人は疑っている。
善悪対、念仏者は名号の大善を領受しているから善人であり、諸善の人は雑毒の善しかないから悪人と貶称される。
正邪対、念仏者は正定聚の機であり、諸善の人は邪定聚の機である。
是非村、念仏者は仏意にかなうから是であり、諸善の人は仏意にかなわないから非である。
実虚対、念仏者は仏の真実心を得ているから実といい、諸善の人は自力虚偽の人であるから虚という。
真偽対、念仏者は真実、諸善の人は虚偽であるから、真といい、偽という。
浄穢対、念仏者は浄心を得ているから浄といい、諸善の人は疑濁の人であるから穢という。
利鈍対、念仏者は仏智を得ているから利根であり、諸善の人は仏智を得ていないから鈍根である。
奢促対、諸善の人の成仏はおそいから奢といい、念仏者の成仏はすみやかであるから促という。
豪賤対、念仏者は名号の功徳を得ているから豪富であり、諸善の人は大功徳を失っているから貧賤である。
明闇対、念仏者は仏智を得て無明を破られているから明であり、諸善の人は無明の闇に閉ざされているから闇である。
このような十一対が成立します。以上のことから、本願一乗海である念仏を疑いなく受けいれている一乗海の機を考えてみると、その体が仏智であるような金剛の信心は比較を絶した絶対不二の機であることがわかります。
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