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『一念多念証文』ー『大経』付属の文意

真偽検証 教学聖典(4) 問(22)ー「行の一念」とはに関連して。

『大経』付属の御文を、親鸞聖人は『一念多念証文』で「一念をひがごととおもふまじき事」の証文として挙げられています。親鸞会発行の『教学聖典』に掲載されていますが、説明を聞いたことがありませんでした。親鸞聖人の『一念多念証文』のお言葉とその意訳を紹介します。

「其有得聞彼仏名号」(大経・下)といふは、本願の名号を信ずべしと、釈尊説きたまへる御のりなり。「歓喜踊躍乃至一念」といふは、「歓喜」は、うべきことをえてんずと、さきだちてかねてよろこぶこころなり。
「踊」は天にをどるといふ、「躍」は地にをどるといふ、よろこぶこころのきはまりなきかたちなり、慶楽するありさまをあらはすなり。
慶はうべきことをえてのちによろこぶこころなり、楽はたのしむこころなり、これは正定聚の位をうるかたちをあらはすなり。「乃至」は、称名の遍数の定まりなきことをあらはす。
「一念」は功徳のきはまり、一念に万徳ことごとくそなはる、よろづの善みなをさまるなり。「当知此人」といふは、信心のひとをあらはす御のりなり。「為得大利」といふは、無上涅槃をさとるゆゑに、「則是具足無上功徳」とものたまへるなり。
「則」といふは、すなはちといふ、のりと申すことばなり。如来の本願を信じて一念するに、かならずもとめざるに無上の功徳を得しめ、しらざるに広大の利益を得るなり。自然にさまざまのさとりをすなはちひらく法則なり。法則といふは、はじめて行者のはからひにあらず、もとより不可思議の利益にあづかること、自然のありさまと申すことをしらしむるを法則とはいふなり、一念信心をうるひとのありさまの自然なることをあらはすを法則とは申すなり。

【意訳】(『一念多念文意講讃』梯實圓著 262-264頁より引用)

 「それかの仏の名号を聞くことを得て」というのは、本願の名号を信じよと、釈尊がお説きになったお言葉である。
 「歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん」というのは、「歓喜」は、身も心も喜びに満ちあふれることであるが、得なければならない事柄を必ず得ることができるに違いないと、実現に先立って、前もって喜ぶこころを顕している。踊躍の「踊」は、跳ねるようにおどることで、天におどるという意味である。「躍」は高く飛び上がるようにおどることで、地におどるという意味である。喜びの極まりない様子を現す言葉である。慶び楽しむありさまをあらわしているのである。ところで慶楽の「慶」は、得なければならないことを既に得て後に喜ぶこころを意味している。「楽」は、楽しむ心を表している。これは正定聚の位を得ていることを喜ぶ様子を表している言葉であった。
 「乃至」は、称名の数に限定がないことを表している。
 「一念」は、称名の一声ということであるが、それは一声に無上の功徳を具しているという功徳の究極のすがたを顕している。すなわち一声の称名にあらゆる功徳がことごとく備わっており、あらゆる善根がみな収まっているといういわれを表しているのである。
 「まさに知るべし、この人は」というのは、本願の名号をはからいなく信受している信心の行者であるということを表すみ言葉である。
 「大利を得るとなす」というのは、最高の涅槃の境地をさとり、仏になることのできるという利益を得るからである、そのことを「則ち無上の功徳を具足す」とも仰せられるのである。
 「則」というのは、「すなわち」ということであるが、また「のり」という言葉でもある。「のり」というのは物事に備わっている決まった法則ということである。如来の本願を信じて、一声念仏するところに私の方からは求めはしないが、必ずこのうえない功徳を得しめたまい、私は知らないけれども、広大無辺の利益を得るのである。私のはからいを超えて、自然にさまざまの悟りを即座に開く法則のことを「則」というのである。法則というのは、物事がそうなるように定まっていることをいうのである。行者のはからいによって、はじめて得られるというようなことではなくて、阿弥陀仏の本願力のはからいによって、本来そうなるように定まっている法則として、不可思議の利益を受けることをいうのである。そのように本願力のはからいによって自ずからそうあらしめたまう願力自然の法則として無上功徳を具足せしめたまうことを知らしめるために法則の意味を表す「則」の字を使って「すなわち無上の功徳を具足す」と説かれたのである。それは一念の信心を得た人には、現当の利益が願力の自然として与えられることを法則といったのである。すなわち念仏往生の本願を疑いなく信ずる人には、現生に於いてもとめず、しらざるに無上大利の功徳を得しめ、浄土に往生すればさまざまのさとりを開かしめたまう自然法爾の利益があることをしらしめるのが法則という言葉である。
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