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本願に遇うのは「今」です

ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。(教行証文類総序)

ここをもつて愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ、宗師の勧化によりて、久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に回入して、ひとへに難思往生の心を発しき。しかるに、いまことに方便の真門を出でて、選択の願海に転入せり。すみやかに難思往生の心を離れて、難思議往生を遂げんと欲す。(化身土文類)


本願に遇う場は今をおいて他にありません。

親鸞聖人は
いま遇ふことを得たり
いま選択の願海に転入せり
と教えられています。


この「今」は、過去のある時点の今のことでもありません。

只今喚びづくめの「そのまま来い」の勅命を疑いなく聞き受けている「今」であります。
只今弥陀の招喚の勅命を疑いなく聞き受けているのが信心ですから、信心が成就しているのは、過去でも未来でもなく、「今」です。


「ああなった」とか「こうなった」という過去の体験をあてにするのでもなく、未来の救いにあこがれるのでもなく、今、仏勅に信順するのです。


光に向かって進むのではありません。
今、光を受けるのです。

弥陀の呼び声を「聞」ときくところまで進むのでもありません。
今、南無阿弥陀仏を計らいをまじえず聞くのです。


今、ここ以外に私が本願に遇う場はありません。
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