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親鸞会の「善のすすめ」のトリック (さよなら親鸞会を読んで)

親鸞会の「善のすすめ」のトリックは種々ありますが、今回は、『さよなら親鸞会』ある幹部の退会の記録の中に書かれていた

たとえば、
(1)この店は高いけど美味い
(2)この店は美味いけど高い
どちらも「美味い」ことと「高い」ことを言われていますが、(1)と(2)と主張は同じでしょうか?ちょっとした表現のテクニックだと思います。


の具体的な例について書きたいと思います。


まず、善という言葉を使って、上の文章を書き換えると、
(1)善は、したら助かるということではないけど、(善を)しなければ善果はこない。
(2)善は、しなければ善果はこないけど、(善を)したら助かるということではない。
となります。


もう少し分かりやすく、書き換えてしまいましょう。すると

(1)親鸞聖人の教えは、善をしたら助かるという教えではありません。
   しかし、善をしなければ絶対に善果はきませんよ。

(2)善をしなければ絶対に善果はきませんよ。
   しかし、親鸞聖人の教えは、善をしたら助かるという教えではありません。

となります。これらの主張は同じことを言っているのかどうかよく考えてみて下さい。

(1)は「善をしなければ善果はこない」というところに力点が置かれ、(2)は「善をしたら助かるという教えではない」というところに力点が置かれています。したがって、(1)を聞いた人は、「善をしなければ」というところが強く印象に残ります。

そして、結論をいうと、親鸞会の説き方は(1)の

親鸞聖人の教えは、善をしたら助かるという教えではありません。
しかし、善をしなければ絶対に善果はきませんよ。


に該当します。

しかも、(1)の「絶対に善果はきませんよ」の部分が、「信仰は進みませんよ」や「合点だけでは進めないのだ」などというバージョンがあり、余計にトリックが分かりにくくなっています。


次に、具体的な文章を例としてあげます。いつものように、公式サイトからです。
『諸行往生は本願にあらず』より引用(行間をつめ、説明の都合上A、B、Cをつけました)

(A)
 光に向かって進むものは栄え、闇に向いて走るものは滅ぶ。
 光に向かって善を勧める親鸞会に、「諸行往生ではないか」と非難する声があるらしい。諸行往生とはどういうことか、分かってのことなのだろうか。
 諸行往生とは、「諸善をしたら助かる」ということ、これは間違いである。それでは、自力の善の積み重ねで助かることになるからだ。
「一切の自力を捨てて、他力に帰せよ」これ以外に親鸞聖人の教えはないことを、覚如上人は次のように断言されている。
「今の真宗においては、専ら自力をすてて他力に帰するをもって宗の極致とする」(改邪鈔)
 親鸞聖人の、この捨自帰他のみ教えの徹底に専心する親鸞会は、未だかつて、「諸善をすれば助かる」などと主張したことは一度もない。
 当然である。
 また諸行往生は、死ぬまで助かったということがない。
 体失不体失往生の諍論で、親鸞聖人に論破された法友・善慧房証空の主張を、法然上人はこう評されている。
「善慧房の体失して往生するよし述ぶるは、諸行往生の機なればなり」(口伝鈔)
 肉体を失わなければ(体失)助からぬという善慧房の主張は諸行往生であり、「諸行往生は本願にあらず」とまで言い切られている。
 阿弥陀仏が本心を誓われた十八願には、平生の一念にいつ死んでも極楽往生間違いない身に救い摂る、と約束されているからだ。
 だから親鸞聖人のみ教えは、平生業成、現生不退。現在ただ今、肉体あるままの不体失往生を90年間、強調されたのである。

 善の勧めはなぜなのか
 高森先生もまた、この信仰の決勝点、一念の弥陀の救いを、常に黒板に縦の線で示され、親鸞聖人の平生業成のみ教えを一貫して説き続けられているのは世間周知のこと。
 その親鸞会に対する「諸行往生」の非難が、いかに的外れであるかは明らかであろう。

(B)
 では、善の勧めはなぜなのか。
 阿弥陀仏が、本心を誓われた十八願に導くために、十九の願(修諸功徳の願)で、諸善を勧めていられるからである。
 十方衆生のほとんどが、仏とも法とも知らぬのだから、まず宇宙の真理である「善因善果、悪因悪果、自因自果」の因果の大道理から、廃悪修善の必要性を納得させ、実行を勧め、十八願の無碍の一道まで誘導するのが弥陀の目的なのだ。
 要門と言われる十九願は、善を捨てさす為のものではなく、善を実行させる為の願であることは、明々白々である。
 
(C)
 実践しなければ果報は来ない。 知った分かったの合点だけでは、信仰は進まないのである。



内容を要約すると以下のようになります。
(A)は、「諸善をしたら助かる」というのは間違いであることを述べた文章で、(1)の前半部分「親鸞聖人の教えは、善をしたら助かるという教えではありません」に該当します。
(B)は、十九願で諸善が勧められているのだという主張
(C)には、「善をしなければ絶対に善果はこない、合点だけでは信仰は進まない」とズバリ書かれていて、(1)の後半部分「しかし、善をしなければ絶対に善果はきませんよ」に相当します。


上の文章では、(B)が入っているためにややこしく感じるかもしれませんが、難しいことはありません。実は、親鸞聖人の教えは「十九願(Bで挙げられている根拠)の教えではない」と説明したのが、(A)の内容なのです。

簡単に言うと、(B)で根拠として挙げられている十九願こそが、(A)で親鸞会はそんなことは説いていないと力説している「諸行往生」を誓われた願なのです。分かりやすい根拠は、親鸞会が頻繁に用いる『浄土和讃』大経讃です。【頭註】を含めて拝読しましょう。

十九(じゅうく)の願のこころ、諸行往生なり

至心・発願・欲生と 十方衆生を方便し
衆善の仮門ひらきてぞ 現其人前と願じける


しかも、この御和讃から分かるように、十九願は現其人前と「臨終来迎」を誓われた願ですから、臨終まで往生できるかどうかわかりません。(A)の中に、「諸行往生は、死ぬまで助かったということがない」と自分で書いている通りです。さらには、「諸行往生は本願にあらず」と教えられた『口伝鈔』の体失不体失往生の諍論でも、

諸行往生の機は臨終を期し、来迎をまちえずしては胎生辺地までも生るべからず。このゆゑにこの穢体亡失するときならでは、その期するところなきによりてそのむねをのぶるか。第十九の願にみえたり。

と説かれています。

(B)で挙げた十九願は上のお言葉により「諸行往生」、「臨終来迎」を誓われたものです。それにあえて触れない(B)の説明がずるいのです。つまり、(B)の十九願の本来の意味を踏まえると、それは(A)によって親鸞聖人の教えではないと自らいっていることになるのですから、(B)を省くことができます。すると、

(A)親鸞聖人の教えは捨自帰他。諸行往生ではない。
(C)(善を)実践しなければ果報は来ない。 合点だけでは、信仰は進まないのである。

というように、全体の構成が、

(1)親鸞聖人の教えは、善をしたら助かるという教えではありません。
   しかし、善をしなければ絶対に善果はきませんよ。

そのものであることがお分かり頂けると思います。

(1)のように2行で書けば、善と助かる(獲信)は無関係であることはすぐに分かると思います。


しかし、引用した公式サイトの文章のような長さになると、冷静に読まないとトリックに気が付かないと思います。そして、トリックに気が付かないと、最後の「実践しなければ果報は来ない。 知った分かったの合点だけでは、信仰は進まないのである」というところばかりが頭に残ってしまうのです。そして、心は善ばかりに向かうようになってしまいます。

なお、「実践しなければ果報は来ない」の果報とは生活上の善果なのでしょうが、もともと「平生業成、現生不退」の阿弥陀仏の救いの話をしていたのですから、本来はなくてもよい文章です。
さらには、その後の「信仰は進まないのである」とあるのが意味不明な文章です。「信仰」という言葉が定義されていないのですから。



親鸞会が、獲信と関係あるかのごとくに諸善を勧めるときの話の展開には、他のパターンもあります。「信仰」という言葉を用いたトリック

(1)「善をしなければ信仰は進みませんよ」
(2)「では、信仰が進めば、救われるのですか?」
(3)「進めば分かります」

(1)「善をしなければ信仰は進みませんよ」
(2)「では、信仰が進めば、救われるのですか?」
(3)「それは、凡夫の計ろうべきことではない。」

については、
これをみている親鸞会の会員さんは少し考えて見て下さい
「信仰」という言葉がもつ効果
などで触れました。

その他のトリックについても、機会をみて触れていきたいと思います。

現役会員の皆様は、親鸞会の「善のすすめ」のトリックを見破って、はやく親鸞会を離れて頂きたいと念じております。
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名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
(蓮如上人)

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