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[C47]

宿善開発して善知識に遇い
がみそでしょうか。
しかし読ませてもらいながら、
いやいやT会長はそんなこといってなかった、いやここは多分わけていただろう、などといまだに擁護してしまう。
一体いつまで脳の回路を変更できるのかと自分にあきれてしまいました。
あいつのみこころなんて一度もさらけ出したこと無いのに。
止めるとき講師に会えますか、と聞くと、一秒も経たずに、それは無理です、と言われたのが面白かったです。
T会長に会うが宿善を積むことになる、これが悪質なんですよね。
まるで気かオーラか魔法使いか、知識をつけてもっともらしく話し、ちょっと格好付けてよさそうにしてにこやかにすれば、あら不思議、カリスマ教祖もどきにはや変わり。
自分は少しは良いだろう、につけこんだ詐欺師には憎しみが湧きます。

[C48]

Mハル にさえ 会えないんじゃないですか。
ナンバー2が出てきて 対応してくれる
K会とは 大違いです。会員は 早く
詐欺師に気が付くべきです。
  • 2010-07-15 19:36
  • ため息
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[C51]

>名無し様
>ため息様

講師でさえ中々会えない会長センセイ。。。
そんな講師が会長を礼賛している。Mから伝えられる会長像をそのまま会員に流しているだけですね。

会長自身が会員に接しようとしないのも問題です。
「会長センセイは一人一人の後生を念じられている」とは宣伝文句であって、会長の実像でないことに会員の皆さんには早く気が付いてもらいたいです。
  • 2010-07-17 08:36
  • いつもの元会員
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高森先生のお役に立つ親友部員に早くなりたい

親鸞会会員は、善知識だのみである」と言うと、現役会員の方々はそんなことはないと反発するかもしれません。『御文章2帖目11通』に
・善知識の能といふは、一心一向に弥陀に帰命したてまつるべしと、ひとをすすむべきばかりなり。
・善知識といふは、阿弥陀仏に帰命せよといへるつかひなり。

と教えられているように、高森先生は、つねに「阿弥陀仏に帰命せよ」と勧められている善知識だと思っている人も多いことでしょう。

しかし、実態はどうでしょうか?

会員の皆様に「親鸞会会員は、善知識だのみである」かどうかを考える材料として、『やさしい安心論題の話』(灘本愛慈著・本願寺出版)から、善知識だのみについて書かれた文章を紹介します。

 たしかに、阿弥陀如来のおこころは、生きた人間を通して私どもに伝えられるのであって、私に直接するのは善知識であります。ですから、救いの法を説いてくださる善知識を尊重し敬慕するのは当然でありましょう。しかし、阿弥陀如来をそっちのけにして、善知識を帰命(信)の対象とするならぱ、それは本末転倒といわねばなりません。
 そこで、蓮師は善知識だのみの誤りを指摘せられ、善知識は「弥陀に帰命せよ」と勧める使いであって、あくまで帰命すべきは阿弥陀如来である旨を述べられ、更にこれを明らかにするために、五重の義を立てられたのです。
 これによって、宿善開発して善知識にあい、その善知識の勧めによって弥陀に帰命する信心を得て、往生決定の身となる旨を示され、「帰するところの弥陀をすてて、ただ善知識ばかりを本とすべきことを、大きなる誤りなり」と誠められています。
 思うに、善知識が真の正しい善知識であれば、このような善知識だのみは生じないでありましょうし、たとい一部にそういう誤った見解が生じても、善知識がその誤りをただしてくださるでありましょう。
 しかし、偽り邪な善知識の場合が問題であります。現実には「帰ずるところの弥陀をすてて」とまではいかないにしても、人々を説得し心服させる才能にたけた者が指導者となり、指導される人々はその人を阿弥陀仏と同等に生き仏として無条件に帰依尊崇するということになれば、どのような事態になるか。実に危険きわまりないものといわねばなりません。
(164-165頁より引用)


上の文章の最後から二段落目に、「善知識が真の正しい善知識であれば、このような善知識だのみは生じないでありましょうし、たとい一部にそういう誤った見解が生じても、善知識がその誤りをただしてくださるでありましょう」とありますが、その反対のことをやっているのが実は高森会長です。

会員を自らに心服させ、無条件で服従させている元は、講師部・学院生聖則にあります。その一番目と二番目が、

・会長先生の御指示に無条件で従い、信心獲得を本と致します。
・上司の指示は会長先生の指示と心得ます

です。信心獲得よりも前に「会長先生の御指示に無条件で従い」をもってきた聖則を、講師部員、そして未来の講師部員・親友部員である学院生に朝晩、毎日唱和させているのが、高森会長なのです。

阿弥陀仏に帰命するとは、阿弥陀仏の仰せに信順することです。これが信心獲得です。
その信心獲得より前に「会長先生の御指示に無条件で従い」と言わせ、自分(高森会長)の指示に無条件に従わなければ信心獲得はできないと刷り込みを行っているように思えます。

今回の記事のタイトル「高森先生(会長先生)のお役に立つ親友部員に早くなりたい」は、顕真学院を出て親友部員になった私の先輩や後輩が、親友部員になりたてのときに、必ずといっていいほど言っていたた言葉です。中には学院に行く前はそんなことをいうようには見えなかった後輩が言っていたこともあり、驚いたことがあります(会員時代は、それでもあまり問題だとは思いませんでしたが・・・)。ある一定期間を学院で過ごせば親友部員になれますが、それでも会長先生に無条件服従の姿勢が染み付いていました。一方、講師部員の場合は、「会長先生の御指示に無条件で従う姿勢」が身に付かない者は学院を卒業できません。つまり、無条件服従の姿勢が養われた者が講師部員になるのです。

「会長先生の御指示に無条件で従い」、「会長先生に間違いはない」と堅く信じきっている講師部員に指導されるのが一般会員ですから、その姿勢は親鸞会の末端に至るまで浸透していきます。


「会長先生のご様子」、「会長先生の御心」、「会長先生のお言葉」、「会長先生の御教導」、「会長先生のご恩」、「会長先生のご苦労」などが、講師部員を通じて一般会員に徹底されます。

法話会場に行けば、体験発表(随行文)で必ずきくフレーズは、「平成●●年、○○(地名)で高森先生に初めてお会いすることができました」。
降誕会や報恩講の弁論大会では、高森会長を賛美したり、高森会長のご苦労を訴える弁論が目白押し。
顕正新聞や顕真、親鸞会の制作ビデオでは、多くの「高森会長のご恩、ご苦労」を訴える内容。
会合では「高森会長のお言葉」を覚えているかどうかのチェック。
ある年の遺弟の認定証授与式では、「遺弟に選ばれながら高森先生を誹謗して離反していくものがある。そういう人は高森先生に対する気持ちが弱い」との布教局長(当時)の言葉。

現役会員の皆様は、本来向かわなければならない阿弥陀仏よりも、高森会長が前面に出ているのを感じませんか?

講師部員の口から、
・阿弥陀仏のご恩と高森先生のご恩
・阿弥陀仏のご苦労と高森先生のご苦労
・阿弥陀仏の御心と高森先生の御心
それぞれどちらをよく聞いていますか?

高森会長が、真の知識ならば、このような現状を許しておくはずはありません。高森会長は、何もかも承知の上で、講師部員にそうさせ、機関誌の記事などを書かせているのですから、偽りの善知識であり、邪な善知識です。

蓮如上人は、自分に向かって手を合わせて拝んだ人をごらんになって、「もってのほか、嘆き思うところなり」「真実々々かたはらいたき風情なり。あさましあさまし」と仰っていたことが、
『21世紀の浄土真宗を考える会』浄土真宗にはカリスマ的指導者はあってはならない」との蓮如上人のお言葉に取り上げられています。それとは反対に、自分を賛美する弁論をモニターで眺めているのが高森会長。蓮如上人とは正反対です。

現役会員の皆様は、本来向かうべき阿弥陀仏ではなく、知らず知らずのうちに高森会長にばかり向かわさせられ、高森会長には何の疑問をもつことも許されていないという現状になっていることを知って頂きたいと思います。

また、「高森先生に間違いない」、「会長先生には深い御心があるのだ」と思っている人も多いと思いますが、そう言える根拠を冷静に考えてみて下さい。ハッキリ言って、教義内容はデタラメです。合っているのはどこかと探さないと分からない位のデタラメ教義です。そんな教義、またそれを説く高森会長に無条件に従っていたら危険極まりありません。思考停止せずに、ネット上に上がっている様々な教義批判と向き合ってみて下さい。


親鸞聖人は、『化身土文類』に、

『大論』(大智度論)に四依を釈していはく、「涅槃に入りなんとせしとき、もろもろの比丘に語りたまはく、〈今日より法に依りて人に依らざるべし、
(中略)
法に依るとは、法に十二部あり、この法に随ふべし、人に随ふべからず。


(現代語訳)
『大智度論』に、四つの依りどころについて次のようにいわれている。
 「釈尊がまさにこの世から去ろうとなさるとき、比丘たちに仰せになった。<今日からは、教えを依りどころとし、説く人に依ってはならない。
(中略)
教えを依りどころとするとは、仏の説いた教えには十二部経があり、この教えにしたがうべきであって、説く人にしたがってはならないということである。


と教えられています。高森会長に無条件に従わなければならないという教えは、親鸞聖人の教えではありません。

現役会員の方の中には、親鸞会を辞めるとなったら誰から教えを聞けばよいのだろうかと思っている人もいるでしょう。しかし、高森会長の次の無条件服従する相手(第二の高森顕徹)探しをするならば、親鸞会時代と何ら変わりません。特定の人に対して無条件服従という考え方から離れることをお勧めします。
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宿善開発して善知識に遇い
がみそでしょうか。
しかし読ませてもらいながら、
いやいやT会長はそんなこといってなかった、いやここは多分わけていただろう、などといまだに擁護してしまう。
一体いつまで脳の回路を変更できるのかと自分にあきれてしまいました。
あいつのみこころなんて一度もさらけ出したこと無いのに。
止めるとき講師に会えますか、と聞くと、一秒も経たずに、それは無理です、と言われたのが面白かったです。
T会長に会うが宿善を積むことになる、これが悪質なんですよね。
まるで気かオーラか魔法使いか、知識をつけてもっともらしく話し、ちょっと格好付けてよさそうにしてにこやかにすれば、あら不思議、カリスマ教祖もどきにはや変わり。
自分は少しは良いだろう、につけこんだ詐欺師には憎しみが湧きます。

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Mハル にさえ 会えないんじゃないですか。
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詐欺師に気が付くべきです。
  • 2010-07-15 19:36
  • ため息
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>名無し様
>ため息様

講師でさえ中々会えない会長センセイ。。。
そんな講師が会長を礼賛している。Mから伝えられる会長像をそのまま会員に流しているだけですね。

会長自身が会員に接しようとしないのも問題です。
「会長センセイは一人一人の後生を念じられている」とは宣伝文句であって、会長の実像でないことに会員の皆さんには早く気が付いてもらいたいです。
  • 2010-07-17 08:36
  • いつもの元会員
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Author:いつもの元会員
名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
(蓮如上人)

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