Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

コメント

[C89]

親鸞会は根拠に疎く、知らない根拠には弱いものです。

親鸞会理論で議論することは、机上の空論です。根拠に基づいていないからです。従って、根拠を出せば、簡単に決着がつきます。

今回のことでいえば、「諸善は勧めているが雑行は勧めていない」というのは、単に雑行の正しい意味を知らないだけですから、親鸞会で勧めている諸善を雑行というのだと、教えてあげればいいのです。
  • 2010-07-22 19:40
  • 幹部会員歴数十年
  • URL
  • 編集

[C91]

「善を勧めるS会」を「実際は雑行を勧めている」というものに対して「朝晩のお勤めの勧めもないのですか」と聞いたらよいと教えてもらいました。「お勤めを勧める」ことは「雑修を勧めること」になるのですか?

[C92]

名無し 様

いつもの論点スライドです。
いまは雑行の話です。
雑行の意味はわかりましたか?

  • 2010-07-24 06:22
  • 幹部会員歴数十年
  • URL
  • 編集

[C93] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

[C95]

>名無し様
>幹部会員歴数十年様

この記事では、まだ分かっておられないような方もあるので、「雑行」についてもう少し書いてみました
http://shinrankaikansatu.blog133.fc2.com/blog-entry-68.html
  • 2010-07-25 12:07
  • いつもの元会員
  • URL
  • 編集

[C96]

>秘密コメントの方

仰る通りだと思います。
  • 2010-07-25 12:09
  • いつもの元会員
  • URL
  • 編集

[C97] good

いつもの元会員様

それでいいです。
自分達が大前提としていたものが間違っていたと気付かせて焦らせればいいのです。
何も知らないのですから、根拠を出して、教えてあげましょう。
  • 2010-07-25 20:49
  • 幹部会員歴数十年
  • URL
  • 編集

コメントの投稿

コメント

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://shinrankaikansatu.blog133.fc2.com/tb.php/67-c92296e5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

会員の皆様は「雑行」について根拠に基づいた話を聞いていますか?

新手のネット対策ですか?に現役会員の方も含めて多数のコメントを頂きました。
それを踏まえて今回の記事を書きたいと思います。

親鸞会では、「雑行」ということについて、

「雑行」:自力の心でやる諸善万行
「雑行を捨てよ」=「自力の心を捨てよ」
(「善をするな」という意味では決してない)

後生の一大事が問題にならねば、「雑行」は絶対に分からない (6/6)より引用

と説明します。

ところで、親鸞会の法話では、根拠を挙げて説明される部分とそうでない部分があります。
例えば、阿弥陀仏が本師本仏であることは、必ずといっていいほど『御文章2帖目8通』に基づいて話をされます。
では、上の「雑行」ということについて、現役会員の皆様は、親鸞聖人のお言葉に基づいて話を聞いていますか?
親鸞会では、「雑行」は親鸞聖人の教えのキーワードだといわれているのに、根拠に基づいた話がなされないのは不可解だとは思いませんか?
親鸞学徒の本道は、「まず親鸞聖人のお言葉を示す」といっているのに、「雑行」とは何かについて親鸞聖人のお言葉が示されないのはおかしいとは思いませんか?


幹部会員歴数十年さんのコメントにあったように、親鸞聖人は、「雑行」について『化身土文類』で以下のように教えられています。

安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修あるなり。
正とは五種の正行なり。助とは名号を除きて以外の五種これなり。雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。これすなはち横出・漸教、定散・三福、三輩・九品、自力仮門なり。


(現代語訳)
浄土に往生してさとりを開くのを浄土門といい、易行道という。この浄土門の中に、横出と横超、方便と真実、漸教と頓教、そして助正と雑行、雑修と専修がある。
正とは、読誦.観察.礼拝.称名.讃嘆供養の五正行である。助とは、称名以外の読誦.観察.礼拝.讃嘆.供養の五種である。雑行とは、正.助の行以外をすべて雑行というのである。これは、浄土門の中の自力である横出の教えで、長い時を費やす漸教であって、定善.散善や世福.戒福.行福の善を修め、三輩.九品のそれぞれの資質に応じて行を修める自力方便の教えである。


親鸞聖人は、このお言葉の中で、まず浄土門とは「安養浄刹にして入聖証果する」教えと定義され、その浄土門の中に、「横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修」があると仰っています。「横出・横超、仮・真、漸・頓」は教について、「助正・雑行、雑修・専修」は行について教えられたものです。

つまり、「雑行」とは、浄土に往生してさとりを開く浄土門内の行についていわれた言葉であることが分かります。言い換えると、「往生の行」です。
『選択本願念仏集』二行章においても、善導大師の『散善義』就行立信釈を引文された後に、

わたくしにいはく、この文につきて二の意あり。一には往生の行相を明かす。二には二行の得失を判ず。
初めに往生の行相を明かすといふは、善導和尚の意によらば、往生の行多しといへども大きに分ちて二となす。一には正行、二には雑行なり。


と、「往生の行」の中に「正行」と「雑行」があることを教えられています。

「雑行」の行体については、「正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく」とありますように、五正行以外の諸善万行です。

ここまでまとめますと、
『浄土門で教えられる「往生の行」で五正行以外の諸善万行』
を「雑行」といわれていることが分かります。親鸞会では全く説明されない「往生の行」というところを押さえておくことが大事だと思います。親鸞会関係のホームページを見ていると、本来は「往生の行」の話をしていたのに、それ以外の善の話などが混在してくる場合があるので注意が必要です。


『化身土文類』では、「雑行」の説明が、次のように続きます。

それ雑行・雑修、その言一つにして、その意これ異なり。雑の言において万行を摂入す。五正行に対して五種の雑行あり。雑の言は、人・天・菩薩等の解行、雑せるがゆゑに雑といへり。もとより往生の因種にあらず、回心回向の善なり。ゆゑに浄土の雑行といふなり。

(現代語訳)
さて、雑行と雑修とは同じような言葉であるが、意味は違っている。雑という言葉には、すべての行をおさめてしまうのである。五種の正行に対しては、五種の雑行がある。この雑という言葉は、人間や神々に生れる行や菩薩の行などがさまざまにまじっているという意味で雑というのである。これはもとより阿弥陀仏の浄土に往生する因ではなく、浄土を願う心をおこし、これらの行を浄土往生のための善としなければならないから、浄土往生の行としては雑行というのである。

ここでは、「雑」という言葉について2通りの意味が説明されています。

まず、「雑の言において万行を摂入す」といわれたのは、五正行以外の一切の善行(万行)が行体なので、行体が雑多ということで「雑行」といわれることを示されたものです。

次に、「雑の言は、人・天・菩薩等の解行、雑せるがゆゑに雑といへり」といわれた「雑」は色々なものが雑じっているという意味です。雑行の行体はさまざまで、例えば、世間の善(世福)、小乗仏教の善(戒福)、大乗仏教の善(行福)がありますが、これらはさまざまな目的が雑じっている善であり、さまざまな行いが雑じっています。それを「人・天・菩薩等の解行、雑せるがゆゑに雑といへり」といわれています。
これらの善はもともとは、世間的な幸福を求める善であったり、この世でさとりを求める善であったりして、阿弥陀仏の浄土に往生する因ではありません。それ故、「往生の行」にするには、浄土を願う心をおこし、回向しなければならないのです。このことを、「もとより往生の因種にあらず、回心回向の善なり。ゆゑに浄土の雑行といふなり」と教えられています。

ここでのポイントは、もともと往生の行でない諸善万行を、浄土を願う心をおこして往生の行に転換しているということです。


今日の記事をまとめますと、
・『浄土門で教えられる「往生の行」で五正行以外の諸善万行』を「雑行」といわれている。
・諸善万行は、浄土を願う心をおこして、行の目的を転換させることで「往生の行」になる。
ということになります。


さて、親鸞会では「善の勧め」をやかましくいいますが、何を根拠に勧めているかといえば阿弥陀仏の第十九願です。その十九願文の「発菩提心 修諸功徳 至心発願 欲生我国」を高森会長が、
「よしやるぞと奮発心をおこして、純粋な心で阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願いをおこして、もろもろの善をやりなさい」
と説明しているのを聞いたことはありませんか?

会員の皆様は上のように聞いたら、その通りに実行しようとするでしょう。
その場合、実践させられている行は何ですか?
「雑行」そのものではありませんか?


親鸞聖人は「雑行を捨てよ」と教えられました。
親鸞聖人のみ教えには、「雑行の勧め」はありません。


親鸞会で説かれている「善の勧め」ですが、その中身は実際のところ何なのかを現役会員の方にはよく知って頂きたいと思います。
スポンサーサイト

コメント

[C89]

親鸞会は根拠に疎く、知らない根拠には弱いものです。

親鸞会理論で議論することは、机上の空論です。根拠に基づいていないからです。従って、根拠を出せば、簡単に決着がつきます。

今回のことでいえば、「諸善は勧めているが雑行は勧めていない」というのは、単に雑行の正しい意味を知らないだけですから、親鸞会で勧めている諸善を雑行というのだと、教えてあげればいいのです。
  • 2010-07-22 19:40
  • 幹部会員歴数十年
  • URL
  • 編集

[C91]

「善を勧めるS会」を「実際は雑行を勧めている」というものに対して「朝晩のお勤めの勧めもないのですか」と聞いたらよいと教えてもらいました。「お勤めを勧める」ことは「雑修を勧めること」になるのですか?

[C92]

名無し 様

いつもの論点スライドです。
いまは雑行の話です。
雑行の意味はわかりましたか?

  • 2010-07-24 06:22
  • 幹部会員歴数十年
  • URL
  • 編集

[C93] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

[C95]

>名無し様
>幹部会員歴数十年様

この記事では、まだ分かっておられないような方もあるので、「雑行」についてもう少し書いてみました
http://shinrankaikansatu.blog133.fc2.com/blog-entry-68.html
  • 2010-07-25 12:07
  • いつもの元会員
  • URL
  • 編集

[C96]

>秘密コメントの方

仰る通りだと思います。
  • 2010-07-25 12:09
  • いつもの元会員
  • URL
  • 編集

[C97] good

いつもの元会員様

それでいいです。
自分達が大前提としていたものが間違っていたと気付かせて焦らせればいいのです。
何も知らないのですから、根拠を出して、教えてあげましょう。
  • 2010-07-25 20:49
  • 幹部会員歴数十年
  • URL
  • 編集

コメントの投稿

コメント

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://shinrankaikansatu.blog133.fc2.com/tb.php/67-c92296e5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Appendix

プロフィール

いつもの元会員

Author:いつもの元会員
名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
(蓮如上人)

最新記事

最新トラックバック

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。