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「雑行」についてもう少し書いてみました

前回の記事、会員の皆様は「雑行」について根拠に基づいた話を聞いていますか?に続いて「雑行」について書きたいと思います。

前回の記事では、親鸞聖人が「雑行」について、どのように教えられているかを『化身土文類』のお言葉から示しました。述べたことを箇条書きにすると、
・「雑行」とは、浄土門で教えられる「往生の行」であること
・行体は、五正行以外の諸善万行であること
・もともと阿弥陀仏の浄土に往生する行ではない諸善万行は、浄土を願う心をおこして、行の目的を転換させなければ「往生の行」にならないこと
・浄土を願う心をおこして、「往生の行」に転換させた諸善万行を「雑行」といわれていること

です。そして、その最後に、親鸞会が「善の勧め」の根拠にしている阿弥陀仏の第十九願について少し触れました。

今回は、「十九願に触れたこと」と「浄土を願う心をおこして、諸善万行を往生の行に転換させる」ということについてもう少し書きます。


まず、十九願に触れたのは、『化身土文類』で十九願の行信から要門の法義が展開されることが教えられ、その要門の行体が次のように示されているからです。

願とはすなはちこれ臨終現前の願なり。行とはすなはちこれ修諸功徳の善なり。信とはすなはちこれ至心・発願・欲生の心なり。この願の行信によりて、浄土の要門、方便権仮を顕開す。この要門より正・助・雑の三行を出せり。

この中の「この要門より正・助・雑の三行を出せり」といわれたのが要門の行体を挙げられたものです。この「正・助・雑」を具体的に示されたのが、前回の記事で紹介した

正とは五種の正行なり。助とは名号を除きて以外の五種これなり。雑行とは、正助を除きて以外をことごとく雑行と名づく。

だったのです。


次に、「浄土を願う心をおこして、諸善万行を往生の行に転換させる」と前回述べたことついて補足します。

正行と雑行は対になっている言葉です。正行の正とは、「正直」「正当」ということで、阿弥陀仏とその浄土という目標に向かって正対しているということです。それは、往生行として道理にかなった行ということになります。一方、「正直」の反対は「邪曲」であり、正当な行の反対は往生行としては不当な行ということを意味し、それを雑行といわれました。

例えば、『観無量寿経』に説かれている三福行は、その散善顕行縁に、

なんぢいま、知れりやいなや。この三種の業は、過去・未来・現在、三世の諸仏の浄業の正因なり。

と説かれているように、諸仏の成仏の因、すなわち聖道門の行です。したがって、往生を願い行の方向を転換しなければ、「往生の行」にはなりません。このように、浄土に真っ直ぐに向かっている正直で正当な正行ではなく、違った方向に向いていたのを転換させねばならないので、雑行というのです。



話が少しそれますが、上の『観無量寿経』のお言葉を、

観無量寿経の中で、釈尊が、
韋提希夫人、また未来世の一切凡夫に

「かの国に生ぜんと欲はんものは、
 まさに三福を修すべし」

「この三種の業は、過去・未来・現在、
 三世の諸仏の浄業の正因なり」

と極楽浄土の生まれたければ三福をしなさいと
三福を明らかにされ、勧められている。

しかも、釈迦如来だけでなく、
過去・未来・現在の諸仏も
衆生済度に現れたその国、その処で
同じように阿弥陀仏の本願に救われるに
大切な善であると勧めておられるのだ。


浄土真宗親鸞会 奥越親鸞学徒の集いより引用

と、諸仏が三福を勧めておられるお言葉と理解している人もいますが、これは誤りです。参考までに現代語訳を載せておきます。

韋提希よ、そなたは知っているだろうか。この三種の行いは、過去・現在・未来のすべての仏がたがなさる清らかな行いであり、さとりを得る正しい因なのである。



話を元に戻しますが、もともと往生の行でない諸善万行だから、浄土を願う心をおこし回向しなければ「往生の行」にならないことを教えられているのが、前回紹介した

雑の言は、人・天・菩薩等の解行、雑せるがゆゑに雑といへり。もとより往生の因種にあらず、回心回向の善なり。ゆゑに浄土の雑行といふなり。

という『化身土文類』のお言葉です。同様のことを善導大師・法然聖人も教えられています。『選択本願念仏集』二行章、正雑二行の得失を教えられている五番の相対の中の4番目の回向不回向対に、

次に「回向」といふは、雑行を修するものは、かならず回向を用ゐる時に往生の因となる。もし回向を用ゐざる時には往生の因とならず。ゆゑに「回向して生ずることを得べしといへども」といふこれなり。

とあり、「回向を用ゐる時に往生の因となる」と教えられています。もともと往生の因でない諸善万行を「往生の行」にするには、阿弥陀仏の浄土に生まれたいという願いをおこし、回向することが大事なのです。なお、上の法然聖人のお言葉にあります「回向して生ずることを得べしといへども」は、善導大師の『散善義』のお言葉ですから、善導大師も同じことを教えられていることが分かります。

さらに親鸞聖人は、このことについて、『愚禿鈔』にも教えられています。

雑行の言は人・天・菩薩等の解行雑するがゆゑに雑といふなり。もとよりこのかた浄土の業因にあらず、これを発願の行と名づく、また回心の行と名づく、ゆゑに浄土の雑行と名づく、これを浄土の方便仮門と名づく、また浄土の要門と名づくるなり。

この愚禿鈔のお言葉では、「ゆゑに浄土の雑行と名づく、これを浄土の方便仮門と名づく、また浄土の要門と名づくるなり」とありますように、正しく雑行とは、浄土の方便仮門の行体であり、浄土の要門の行体なのです。


前回と今回の記事で、親鸞聖人のお言葉に基づいて示したことを、箇条書きにすると、
・「雑行」とは、浄土門で教えられる「往生の行」である
・行体は、五正行以外の諸善万行である
・もともと阿弥陀仏の浄土に往生する行ではない諸善万行は、浄土を願う心をおこして、行の目的を転換させなければ「往生の行」にならない
・浄土を願う心をおこして、「往生の行」に転換させた諸善万行を「雑行」といわれている
・その「雑行」は、十九願の行信から展開される要門の行体である

です。


親鸞会では、

阿弥陀仏の本願一つ説くことを出世の本懐とされた釈迦が、なぜ廃悪修善をかくも勧められるのか。
この修善の勧めが、阿弥陀仏の救いと無関係であるはずがない。
親鸞聖人はズバリ、
「みなこれ浄土の方便の善なり」
「これみな浄土方便の要門なり」
と断定されている。
すべては阿弥陀仏の本願(十八願)に相応させ、浄土往生を果たさせるためのご方便であったのだ。
それは、釈迦の独断ではない。阿弥陀如来が、十方衆生を真実の十八願の救済に導かんがために、方便の十九願で「修諸功徳」と勧められているからである。


一切経は「浄土の方便の善なり」より引用

と説きます。

上のように修善を阿弥陀仏の救いと関係づけて、さらに法話などでは、十九願文の「発菩提心 修諸功徳 至心発願 欲生我国」を「よしやるぞと奮発心をおこして、純粋な心で阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願いをおこして、もろもろの善をやりなさい」などと説明しています。
それを聞いた人は、阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願いをおこして諸善万行を実行するでしょう。
その浄土に生まれたいと願いをおこして実行しているところの諸善万行を「雑行」といわれているのです。親鸞聖人が『愚禿鈔』で、ズバリ
「ゆゑに浄土の雑行と名づく」
と断定されている通りです。さらに、そのような行を実践する法門について、
「これを浄土の方便仮門と名づく」
「また浄土の要門と名づくるなり」
と教えられてます。

なお、「この修善の勧めが、阿弥陀仏の救いと無関係であるはずがない」の中の「阿弥陀仏の救い」が十八願の救いを指すならば、「無関係であるはずがない」というのは、間違いです。十八願の救いと我々の修善は無関係です。
一方、「阿弥陀仏の救い」が十九願のことを指しているならば、阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願いをおこして実行した諸善万行は化土の業因となるので、間違いとはいえないでしょう。親鸞聖人は『化身土文類』で「雑行」について詳細に教えられた後、結論として、

経家によりて師釈を披くに、雑行のなかの雑行雑心・雑行専心・専行雑心あり。また正行のなかの専修専心・専修雑心・雑修雑心は、これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。

と「雑行」は「これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因」、すなわち「化土の業因である」と確定されているのです。そして、このお言葉は、『化身土文類』の中で、十九願、観無量寿経の法義(要門)について教えられてきた結論に当たる部分に位置していることも付記しておきましょう。『化身土文類』を順番に沿って拝読すれば分かることです。


はたして

・親鸞聖人のみ教えに雑行の勧めはあるのか、ないのか。
・親鸞会は雑行を勧めているのか、いないのか。

よく考えて頂きたいと思います。
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名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
(蓮如上人)

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