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[C98] タイトルに吹いた(笑

「奥越親鸞学徒の集い」の人は、ご本願の周囲をぐるぐる回っているだけなんですよ。
こういう人は学文が、ご本願を受容することの障害になっているのですが、当人は気付いていないんでしょう。
浄土真宗のご法義は、今晩聞いて今晩助かるご法義なのですが…
  • 2010-07-28 10:12
  • 林遊@なんまんだぶ
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[C99]

「奥越親鸞学徒の集い」の人=小倉さんは、威勢はいいんですけどねぇ。
「蜀犬日に吠ゆ」という感じですね。
こっちのSNSに来てもらえば、お話をしたいと思うのですが。
  • 2010-07-28 16:35
  • あほうどり
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[C100]

>林遊@なんまんだぶ様

「浄土真宗のご法義は、今晩聞いて今晩助かるご法義」と思えなくさせられてしまっているのが、現役の会員さんたちです。講師部の人も含めて、はやく教義の誤りに気が付いてもらいたいです。

>あほうどり様

コメント有り難うございます。
  • 2010-08-01 17:33
  • いつもの元会員
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「ワクチン投与に励む」親鸞会関係のあるブログ

浄土真宗親鸞会 奥越親鸞学徒の集いというブログを見ると、様々な親鸞会批判などを取り上げて、それらを「邪偽」などと呼んでいるようです。

体験至上邪偽の自己矛盾を指摘という記事という記事「雑行」についてもう少し書いてみましたで書いた文章とよく似た文章が「体験至上の異安心の主張」として取り上げられていました。「体験至上の異安心の主張」として複数の文章が挙げられていた中の最後の

「阿弥陀仏の19願の救いに向かうのなら,
 願いを起こして実行した諸善万行は
 化土の業因となるので,
 関係があると言ってもよいでしょう。
 しかし,18願の救いと
 我々の修善は無関係です」

です。

検索してみると、「化土の業因」という言葉は、親鸞会批判ブログでは、このブログか真偽検証でしか使われていないことと、前後の文章が前回書いた記事とよく似ているので、前回の記事を改変したものだと思います。

ちなみに、もとの文章は以下の通りです。

上のように修善を阿弥陀仏の救いと関係づけて、さらに法話などでは、十九願文の「発菩提心 修諸功徳 至心発願 欲生我国」を「よしやるぞと奮発心をおこして、純粋な心で阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願いをおこして、もろもろの善をやりなさい」などと説明しています。
それを聞いた人は、阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願いをおこして諸善万行を実行するでしょう。
その浄土に生まれたいと願いをおこして実行しているところの諸善万行を「雑行」といわれているのです。親鸞聖人が『愚禿鈔』で、ズバリ
「ゆゑに浄土の雑行と名づく」
と断定されている通りです。さらに、そのような行を実践する法門について、
「これを浄土の方便仮門と名づく」
「また浄土の要門と名づくるなり」
と教えられてます。

なお、「この修善の勧めが、阿弥陀仏の救いと無関係であるはずがない」の中の「阿弥陀仏の救い」が十八願の救いを指すならば、「無関係であるはずがない」というのは、間違いです。十八願の救いと我々の修善は無関係です。
一方、「阿弥陀仏の救い」が十九願のことを指しているならば、阿弥陀仏の浄土に生まれたいと願いをおこして実行した諸善万行は化土の業因となるので、間違いとはいえないでしょう。親鸞聖人は『化身土文類』で「雑行」について詳細に教えられた後、結論として、

経家によりて師釈を披くに、雑行のなかの雑行雑心・雑行専心・専行雑心あり。また正行のなかの専修専心・専修雑心・雑修雑心は、これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。

と「雑行」は「これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因」、すなわち「化土の業因である」と確定されているのです。


親鸞会の十九願文の説明に基づいて、それでは十九願の行信を勧めていることになり、その行は親鸞聖人が「雑行」と教えられているものそのもので、化土の業因とも教えられているのですよと、親鸞聖人のお言葉から示したのが上記の文章です。

「異安心の主張」として取り上げるならば、しっかりとこのブログで取り上げた内容そのものを掲載し、どこであった主張なのかをURLを明示するなり、リンクをはるなりして頂きたいものです。

それに、異なるブログなどから(おそらく改変して)引いた内容を、同一の人が書いた文章のように並べて、

体験至上の異安心の者達は
自分の体験をしっかりと
あて力にしていることを
自覚していないから、
自己矛盾も気づいていない。


と述べても何の意味もありません。もともと違う人が書いたものがもとになっているわけですし、その上、親鸞会に都合の悪い親鸞聖人のお言葉を省略するなどの改変を加えているのですから。

少なくとも私の書いた文章は、お聖教上のお言葉を挙げて説明しているのですから、そのお言葉を示して、これはこのように解釈するのだと書くべきでしょう。

さらに、「体験至上邪偽の自己矛盾を指摘」という記事では、親鸞聖人のお言葉を示さずに「雑行」や「雑修」の説明をしていますが、「まず親鸞聖人のお言葉を示す」という親鸞学徒の本道はどこへいってしまったのでしょうか?

他の記事をみても、親鸞会批判にまともに対応しようとしている意思は感じられません。ただ、親鸞会教義を垂れ流しているだけという感じを受けます。


しかし、そんなブログでも、現役の会員さんに対して、「ワクチン」としての効果を発揮してしまいます。あらかじめ、こんな「邪説」や「邪偽」があると示しておくことで、それと似た文章を会員さんが後になって見たときに、『やっぱりこんなことを言っている、聞いた通りの「邪偽」だ』と思い込ませる効果があります。そして、一度そう思い込んだ会員さんは、「邪偽」の文章をまともに読む気を失ってしまうことでしょう。会で言われていた通りだと、ますます親鸞会に依存してしまう効果もあるかもしれません。

教義批判に対して正面からこたえられないので、どんな手段を使ってでも会員の流出を防ごうと必死なことが伝わってきます。


せっかくですから、「体験至上邪偽の自己矛盾を指摘」と同様の論法で、親鸞会教義の自己矛盾を一つ二つ指摘させて頂きます。

親鸞会公式サイト称名正因の異安心とはどんなことなのかには、このように書かれています。

わが親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人を貫く浄土真宗の教えは、十九願や二十願の教えではなく、十八願真実の教え、いわゆる、信心正因、称名報恩の教えでありますから、信前信後を問わず、一貫してこの真実の教えを説かねばなりません。

もちろん、人によっては未熟の者もあって、信心正因を勧めても、なかなか、信心決定ということが分かってもらえない場合もありますが、だからといって「念仏称えていたら助かるのだ」といって邪義を教えてはならないのです。


さて、『わが親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人を貫く浄土真宗の教えは、十九願や二十願の教えではなく、十八願真実の教え、いわゆる、信心正因、称名報恩の教えでありますから、信前信後を問わず、一貫してこの真実の教えを説かねばなりません。

人によっては未熟の者もあって、信心正因を勧めても、なかなか、信心決定ということが分かってもらえない場合もありますが、だからといって
善をしなければ信仰は進みませんよ」といって邪義を教えてはならないのです。』と言われたらどうしますか?

また、

称名念仏は、すべて信後報謝に限るからです。

ともありますが、

それなら、『諸善は、すべて信後報謝に限るとなぜ言わないのですか?』と聞かれたらどうしますか?

(後者の表現は、『21世紀の浄土真宗を考える会』顕正新聞を読んでから借りました。「称名念仏は、すべて信後報謝に限るからです」というフレーズの問題点も取り上げられているので、読んだことのない方は読んでみると良いと思います。)


最後に、「念仏を勧める=20願を勧めている」というような短絡的な発想のようですが、勧めているのは「本願の念仏」(18願の念仏)ということが分かられないのでしょうか?十八願の念仏を勧められた親鸞聖人のお言葉を示してこの記事を終わりにします。

しかれば、それ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、念仏証拠門(往生要集・下)のなかに、第十八の願は別願のなかの別願なりと顕開したまへり。『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよとなり、知るべし。(化身土文類)

(現代語訳)
以上のようなことから、源信和尚の解釈をうかがうと、『往生要集』の念仏証拠門の中に、第十八願について、四十八願の中の特別な願であるとあらわされている。また『観無量寿経』に説かれる定善.散善を修めるものについて、きわめて罪が重い悪人はただ念仏すべきであるとお勧めになっているのである。五濁の世のものは、出家のものも在家のものも、よく自分の能力を考えよということである。よく知るがよい。
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[C98] タイトルに吹いた(笑

「奥越親鸞学徒の集い」の人は、ご本願の周囲をぐるぐる回っているだけなんですよ。
こういう人は学文が、ご本願を受容することの障害になっているのですが、当人は気付いていないんでしょう。
浄土真宗のご法義は、今晩聞いて今晩助かるご法義なのですが…
  • 2010-07-28 10:12
  • 林遊@なんまんだぶ
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「奥越親鸞学徒の集い」の人=小倉さんは、威勢はいいんですけどねぇ。
「蜀犬日に吠ゆ」という感じですね。
こっちのSNSに来てもらえば、お話をしたいと思うのですが。
  • 2010-07-28 16:35
  • あほうどり
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>林遊@なんまんだぶ様

「浄土真宗のご法義は、今晩聞いて今晩助かるご法義」と思えなくさせられてしまっているのが、現役の会員さんたちです。講師部の人も含めて、はやく教義の誤りに気が付いてもらいたいです。

>あほうどり様

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名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
(蓮如上人)

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