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「往生浄土の方便の善」とは「獲信の因縁としての善」なのか?

親鸞会は19願の「至心発願」の軽視していませんか?に続いて、親鸞会で「諸善が獲信の因縁になる」という根拠として提示される

諸善万行ことごとく 至心発願せるゆえに
往生浄土の方便の 善とならぬはなかりけり


の『浄土和讃』大経讃について見ていきます。

○諸善万行ことごとく

この諸善万行がもともとは聖道門の行であることは前の記事で述べました。

その意味を含めて、
「もともと聖道門の行である諸善万行ことごとく」
ということになります。

○至心発願せるゆえに

19願の「至心発願」のことですが、阿弥陀仏の側からと衆生の側からと二通りに解釈できます。

(仏の側から)「至心発願の誓いを建てて下されたから」
(衆生の側から)「まことの心で浄土に往生したいと願を発すから」
となります。

○往生浄土の方便の善とならぬはなかりけり

上の諸善万行が聖道門の行であることを踏まえると、「往生浄土」は聖道に対する言葉であることが分かります。例えば、『安楽集』では、

大乗の聖教によるに、まことに二種の勝法を得て、もつて生死を排はざるによる。 ここをもつて火宅を出でず。 何者をか二となす。 一にはいはく聖道、二にはいはく往生浄土なり。

と聖道と往生浄土という言葉で、聖道門・浄土門が説かれています。

ここの「方便」とは、権仮方便のことであり、真実に対します。
(方便の意味についての詳細は、『21世紀の浄土真宗を考える会』善巧方便と権仮方便及びそのリンク先をご覧下さい)

つまり、この部分の解釈は「浄土門内の権仮方便の善とならないものはなかったのである」となります。


全体を通すと、

もともと聖道門の行である諸善万行ではあるが、阿弥陀仏が至心発願の誓いを建てて下されたから、(そしてその願に従ってまことの心で浄土に往生したいと願を発し行じたから)、浄土門内の権仮方便の善とならないものはなかったのである

となります。


○往生浄土の方便の善とは何か?

親鸞会では、「往生浄土の方便の善とならぬはなかりけり」を「獲信の因縁にならぬ諸善はなかりけり」と解釈しますが、これは根拠のないことです。

親鸞聖人が19願、要門で説かれている善について教えられた他のお言葉を拝読すれば、「往生浄土の方便の善」(浄土門内の権仮方便の善)とは、
(1)浄土を願い慕わせるための善
もしくは
(2)方便化土へ往生する因となる善
のことだと分かります。

『浄土三経往生文類』には、

観経往生といふは、修諸功徳の願(第十九願)により、至心発願のちかひにいりて、万善諸行の自善を回向して、浄土を欣慕せしむるなり。しかれば『無量寿仏観経』には、定善・散善、三福・九品の諸善、あるいは自力の称名念仏を説きて、九品往生をすすめたまへり。これは他力のなかに自力を宗致としたまへり。このゆゑに観経往生と申すは、これみな方便化土の往生なり。 これを双樹林下往生と申すなり。

とあり、前半に「浄土を欣慕せしむる」とあるのが上の(1)の意。このお言葉の後半には「これみな方便化土の往生」とあるので、上の(2)の意味が読み取れます。

『化身土文類』の『観経』の顕説について、

顕といふは、すなはち定散諸善を顕し、三輩・三心を開く。しかるに二善・三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。

と説かれています。「欣慕浄土の善根」(浄土をねがい慕わせるための善根)と教えられていますので、上の(1)の意味です。
また、定散二善・三福は報土往生の真因ではないならば、何の因になるのかは最近紹介した『化身土文類』のお言葉にありましたように、

経家によりて師釈を披くに、雑行のなかの雑行雑心・雑行専心・専行雑心あり。また正行のなかの専修専心・専修雑心・雑修雑心は、これみな辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。ゆゑに極楽に生ずといへども三宝を見たてまつらず。仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり。仮令の誓願(第十九願)まことに由あるかな。仮門の教、欣慕の釈、これいよいよあきらかなり。

とあり、「辺地・胎宮・懈慢界の業因」すなわち「化土の業因」であります。上の(2)の意味です。
なお、ここで、「欣慕の釈」とあるのは、善導大師の書かれた『散善義』の

また決定して、釈迦仏、この『観経』に三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して人をして欣慕せしむと深信す

を承けられたものです。善導大師が三福・九品・定散二善は浄土を慕い願わせるための方便の教えであると解釈されたお心がいよいよ知らされると、親鸞聖人は『化身土文類』で観経について教えられた最後に仰っているのです。これは上の(1)の意味です。

以上、親鸞聖人のお言葉を挙げましたが、19願、要門で説かれている善について、
(1)浄土を願い慕わせるための善
(2)方便化土へ往生する因となる善

の意味で教えられていることが分かります。「往生浄土の方便の善」(浄土門内の権仮方便の善)もその意味でとるべきです。

「往生浄土の方便の善」を「獲信の因縁としての諸善」という解釈を押し通したいのならば、そのように解釈する理由を親鸞会は文証を挙げて説明しなければなりません。その場合、そもそも「獲信の因縁」という言葉が、親鸞聖人のお言葉にはありませんので、まずその意味を親鸞聖人の書かれたものに基づいて明らかにする必要があります。

現役の会員さんには、親鸞会から与えられる説明を鵜呑みにせず、お聖教にない言葉を使っている場合には疑問をもつきっかけにして頂きたいと念じております。
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名号は 如来の御名と 思ひしに わが往生の すがたなりけり
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