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方法論を説き与える大罪

当ブログでは親鸞会の説き方が、「本願力回向」や「平生業成」という浄土真宗の法義に反するということを繰り返し述べています。

親鸞会の話だけをきいている現役会員さんは、「平生業成」に反して救いを未来のこととしてしか受け止められず、「本願力回向」に反して方法論に迷ってしまっています。

しかし、自分が間違った教えを聞いているなどとは毛頭思っていません。それどころか、自分は正しい道を進んでいるのだと信じ込んでいます。

今回は、典型的な現役会員の理解を引用し、その誤りを指摘したいと思います。

親鸞会ブログポータル 『教えと体験 親鸞会.NET』のコメント欄より引用。

なおたん

2010 年 6 月 14 日 4:28 PM


焦ると危険:

親鸞聖人の教えの通りに、

聴聞する事、諸善を励む事、教学を学ぶ事などは、

聖道仏教のように、滝に打たれたり、

行者道を80キロも走破する行などは、やらないけれど、

仏道を求めるということに、変わりはないから、

欲深いわれわれにとっては、

善行を励むということは、

楽ではありません。 

だから、体験の話しに迷う求道者は、珍しい話しを聞きたくて仕方

が無いのです。しかも、体験話しを聞くことが、一番の近道

なのだと、固く信じていて、なかなかその信心が、崩れないので

す。

しかも、親鸞聖人は、りっぱなお方。

それに引き換え、本当にこんな自分が救われるのだ

ろうかという、不安な気持ちから、親鸞聖人のみ教え通りに実行し

たつもりになって、悲しいかな。。返って遠回りしようとする

のですね。

阿弥陀仏の本願を喜んでいる人を見つけると、

ひたすら体験談を話させようとして、不安な心をごまかそう

としようとする人は、親鸞聖人の言葉が、なかなか届かない。。

親鸞聖人のお言葉に、耳が慣れてしまって、感動も感激も

無いからなんですね。

それでも、根気よく、聴聞、お勤め、六度万行の実践をお勧めする

以外には、親鸞聖人のみ教えはありません。一歩一歩堅実に、

教えの通りに実践して、真実の自己を見つめて、正しい道を

進んで頂きたいものです。

何年も求めていると自負している人に、焦りの心から、体験話しを

聞き求めようとしているように感じます。

一番の近道はと言えば、真剣な聴聞、朝晩の御勤め、六度万行

の実践、それ以外に近道は無いと、教えていただいております

が。。



「根気よく、聴聞、お勤め、六度万行の実践をお勧めする以外には、親鸞聖人のみ教えはありません」
「一番の近道はと言えば、真剣な聴聞、朝晩の御勤め、六度万行の実践」
と方法論に迷わされてしまっています。しかもそれが一番の近道だと信じきっています。

前回の記事で引用した『浄土真宗本願寺派宗制』にあったように、浄土真宗の教義の大綱は『顕浄土真実教行証文類』に顕示された本願力による往相・還相の二種の回向と、その往相の因果である教・行・信・証の四法です。

全て阿弥陀仏からの回向です。私が何かを実践して進んでいった先に救いがあるような教えではないということです。
敢えて図にすると、

阿弥陀仏→→→→→私

というのが、浄土真宗の法義です。

ところが、親鸞会で説かれていることは、

私→→→→→阿弥陀仏

です。根本的に誤っているのです。



同じく親鸞会ブログポータル『親鸞会 9月2日(木)テレビ座談会』のコメント欄より引用。

なおたん
2010 年 9 月 8 日 11:37 PM
生きる目的を知ることは、大変難しくて、

しかも、本当の仏教でしか、正しい人生の目的は、

教えてもらえないから、

教えにめぐりあえるまでは、すごく苦しくて、考えることを放棄してし

まおう。。。。。と、かつての私も、そうでした。

せっかく人生の目的を知りながら、

求めることが苦しいから、昿劫多生かかって求めなければならない

と知れば、なお驚きです。

そして、親鸞聖人のお言葉を知って、かえって、

今生だけで、求めることができないのなら、

求める気がしなくなるという人も、中にはあります。。しかし、

阿弥陀仏の光明のお育てがあって、

どんな人をも絶対の幸福に

必ず救うと誓われているからこそ、人生の目的は、長い時間かかっ

ってでも、必ず達成できるんです!!

求める気持ちも、阿弥陀仏が起こしてくだされるのですから、

教えを聴聞して、教えの通りにやらせていただいて、

進ませていただけるから、本当に、阿弥陀仏の本願は、

不思議ですね~。\(◎o◎)/!



「昿劫多生かかって求めなければならない」
「親鸞聖人のお言葉を知って、かえって、今生だけで、求めることができないのなら、求める気がしなくなるという人も、中にはあります」
「人生の目的は、長い時間かかってでも、必ず達成できる」
というように「平生業成」はどこかに吹き飛んでしまっています。

これも、教えの通りに実行して進んでいった先に救いがあるように聞かされていることによる弊害、つまり方法論を説き与えられていることによる弊害です。

そもそも、これから長い時間をかけて求めるかのように説くのは、「平生業成」に反しています。

親鸞聖人は、

弥陀・観音・大勢至 大願のふねに乗じてぞ
生死のうみにうかみつつ 有情をよばうてのせたまふ (正像末和讃)


と教えられています。ここで注意しなければならないのは、「よばうて」というところです。「よぶ」と「よばう」では意味は異なります。

・よぶ・・・・一度だけ「喚ぶ」ということ
・よばう・・・呼び続けに喚んでいる現在進行形

阿弥陀仏は、自分が何かを実行して進んでいった先で喚ばれているのではありません。
阿弥陀仏は、いまここにいる私に、呼び続けに喚んでおられるのです。

私が求めるよりも先に、与えられているのが南無阿弥陀仏の名号です。
南無阿弥陀仏が先手で、私は後手です。
南無阿弥陀仏は、「まかせよ(南無)必ず助ける(阿弥陀仏)」の招喚の勅命です。
その現前の仏勅を聞信する一念に我が往生が定まるのです。
つまり、平生に業事成弁するのです。
本願成就の南無阿弥陀仏が、いつでもどこでも誰にでも届けられているところに、平生業成が成立する前提があるのです。

ところが、この先手の法に対して、自らが先行すると拒絶になってしまいます。
私が何かを実行して進んでいくというのは、先手の法を拒絶していることになるのです。

これでは、

微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。(化身土文類)

です。親鸞聖人のお嘆きが聞こえてきます。


獲信への道程を説き与え、聞くものを方法論に迷わせるのは、説く者に責任があるのです。

方法論を説き与えられ、「このまま求めていけばいつかきっと助かるだろう」と巨大な安楽椅子に座り込まされてしまっているのが、親鸞会会員の実態です。

そして、一度この椅子に座わらせられてしまうと、会員同士で「精一杯光に向かって進ませて頂きましょう」「高森先生のご教導に従いましょう」と励まし合うので、ますます「自分は真実を求めているのだ」とその気になり、親鸞会会員以外の人達を見下ろすようになる人も出てきます。退会者や批判者に対して、「聞法の敗残者」「信仰の奇形児」というような、阿弥陀仏の本願に反することを言っていても、何とも思わない人間になってしまっている人もいます。そのような会員さんは「親鸞会教義は間違っているぞ」というような批判の言葉に一切耳をかさないようになるので、本当の親鸞聖人の教えを求める機会を奪われ、親鸞会に止められてしまいます。

浄土真宗のご法義に反する間違った教えを正しい教えと思い込まされ、自分は正しい道を進んでいると錯覚させられているのは、これみな「三願転入の教え」なるものを創作し、方法論を説き与えている知識の大罪です。

「本願力回向」や「平生業成」という浄土真宗の法義に反することを説く知識からは一刻も離れて頂きたいと念じるばかりです。
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